共通する問題点「既存技術を疎かにしてきた」

バッテリーに関して言えば、日本はいま全固体電池の開発を進めています。これが完成すればEVの種々の問題点が解決されるので、日本は全固体電池で巻き返すことができる、と業界関係者は息巻いているようです。

しかし、全固体電池がいままでの、半導体やリチウムイオン電池やパネル類と同じ構図に陥らない保障はどこにもありません。全固体電池は日本でしかつくれないわけでも、全固体電池なら日本が大量につくって世界中に供給できるというわけでもないのです。

日本人がノーベル賞を取ったような技術をもとにしたリチウムイオン電池でさえ、日本はうまく活かせず、結局は中国に取られてしまった事実をどう見ているのでしょう。

これらに共通した問題点は何かと言うと、既存技術を疎かにしてきたことです。既存技術を疎かにせず、それを収益の種として着実に利用することで新たな技術を開発していく、という発想が欠けていたということです。

イノベーションは成熟と脱成熟を繰り返していきます。企業は、脱成熟の時の備えとして新たな製品をつくっておく必要があるのですが、成熟化するタイミングでは収益の刈り取りをすることが必要なはずなのです。日本の場合は、この刈り取りをする時期にも、刈り取りをせずに次に進んできたことが一番の問題ではないか、と思うのです。

日本人は目移りが早く、1つの製品を仕上げたとたん、もう次の開発に目を移してしまう。せっかく仕上げたいまの製品で、儲けを出すための手立てにじっくり取り組もうとしないところに問題があるのです。

「新しいことは、日本という研究所に任せておけばよい」

筆者は2000年代の半ば頃に、液晶パネルの調査で台湾のメーカーを訪れました。その際に台湾メーカーの人に言われたのは、日本という国は、放っておいても新しい技術をつくってくれる、ということです。

当時はシャープが技術的に一番進んでいると言われていた頃でしたが、台湾メーカーのCTO、つまりエンジニアのトップの人から、シャープの技術はそれほど特別なものではなく、台湾メーカーも関連特許を持っているのでやろうと思えばシャープと同じことはできる。しかし、できても戦略的にやらないのだ、と言われました。

彼はその理由として、新しい技術は不確実性を伴い歩留まりも悪く、そのうえ、新しい技術だけでは数を取ることができない。だから自分たちは、まず日本という実験場が新技術の実験を始め、そこで技術的な課題があぶり出され、技術が安定した後、ビジネスとして大きな規模になると判断できた段階で日本と同じものに大きく投資する、それがもっとも効率が良い方法なのです。新しいことは、日本という研究所に任せておけばよいのです、と話されました。