なぜパリ五輪に対する批判が盛り上がったのか
すると、日本のSNSでパリ五輪に対する批判が盛り上がったのは、礼を失していた、そうみられるのかもしれない。
決してそうではない。そこには2つの理由がある。ひとつは、3年前の東京大会において強いられたフラストレーションであり、もうひとつは、日本勢の活躍である。
上述のように、3年前は無観客を強いられ、さらに、素直に盛り上がってはいけないかのような呪縛があった。今回は、そうした足かせがないどころか、開催都市のパリだけではなく、世界中がバックアップした。にもかかわらず、あまりにも運営が拙い。せっかくの機会を活かしきれていない。であれば、3年前に日本が余儀なくされた我慢は、いったい何だったのか。そんなイライラが募っているから、パリ大会に向ける視線が厳しかったのではないか。
それだけではない。そうしたお粗末な運営をものともせず、日本チームは、海外開催では過去最高数の金メダルを獲得したからである。それも、柔道や体操、レスリングといった「お家芸」にとどまらない。スケートボードやブレイキンといった、新しい競技どころか、フェンシングや馬術、近代五種といった、欧州を本場とするスポーツでも、次々とメダルを得た。
開催都市の「礼」を見せられないパリを舞台に、そこを本場とする種目で、日本代表が次々に勇姿を見せる。その姿は、日本が欧州に劣っている、といった思い込みを拭い去って余りある。だからこそ、大会をきちんと遂行してほしい。そんな願いが、日本のSNSでのパリ大会への批判につながったのではないか。
東京大会の意義を、あらためて見直す
きわめつけは、東京とパリ、両大会のメダルをめぐる騒動だろう。
バドミントン男子シングルスで東京とパリの連覇を達成したデンマークのビクトル・アクセルセンが、両大会の金メダルを比べる動画を公開するなど、終盤になって、あらためて、大会運営の粗雑さに注目が集まった。
本当にメダル作りに優劣があったかどうか、よりも重要なことがある。大会のイメージとして、最後になって、こんな、みっともない動画が広く共有されたところであり、その残念な感じが、今大会には最初から最後までつきまとったところが、大切なのである。
3年が過ぎて、あらためて、あの東京大会が乗り越えた壁の高さを、日本だけではなく、世界が痛感したからである。そして、日本選手の躍進が、地元開催というアドバンテージによるものだけではないと証明したからである。
日本スゴイ、と煽り立てたいわけではない。そうではなく、ここまでみてきたように、パリ大会の不評ぶりと、日本勢の存在感の大きさは、あの東京大会があったからなのだ、と世界中に示したところにこそ、今大会の意味があったと言えよう。