防犯カメラは「痴漢は見つかるからしない」ことを期待する
1990年代の「痴漢は犯罪です」は、法律的規範(およびその根底にある道徳的規範)を強調することによって、性暴力を抑止しようとした。つまり「性暴力は悪い(し、懲罰がある)から、すべきでない」という説得による抑止だろう。しかし、防犯カメラは、露見し、逮捕される可能性の高さを示すことによって性暴力を抑止している。
つまり、防犯カメラ自体が、痴漢などの性暴力を「道徳的」に抑止しているわけではない。むしろ防犯カメラによる抑止は、「性暴力は悪いから、しない」という部分を省略しつつ、「性暴力は露見するから、しない」ことを期待している。その意味で、これも環境管理型の秩序維持に近い。ただし、こうした環境管理もまた、広い意味での規範意識に支えられている。
女性専用車両は「立場の弱い女性を守る」という規範意識
たとえば、防犯カメラの導入は、テロ・性暴力などの犯罪対策ということを理由にして進んだ。導入にあたっては「プライバシーの侵害」という批判も根強く、「設置コストの高さ」などの困難も指摘されてきた。しかし、そのあいだも防犯カメラは増加し続け、2023年には「義務化」されている。したがって、そのような批判や困難があっても「犯罪対策のためには、防犯カメラを設置すべき」という規範を前提にして設置を判断しているといえるだろう。
同様のことは、1990年代後半に進んだ女性専用車両の復活にもいうことができる。女性専用車両の再導入は、「立場が弱く、被害の多い女性は守られるべき」という規範意識がある程度共有されていないと難しい。女性専用車両は戦前から存在しており、戦後、混雑率が悪化するなかで廃止されていた。それが復活した背景には、既述の1990年代における痴漢の社会問題化がある。女性専用車両は、乗客たちが加害者を取り締るような「積極的関与」よりも、被害を受けやすい女性を空間的に分離する「消極的回避」を志向している。