痴漢被害は少ないが、男性専用車両も作るべきなのか?
ただし、痴漢冤罪を避けるためには男性専用車両も必要であるという新聞投書も2000年代から存在している。また、乗車できる車両が減るため男性に不公平ではないか、弱いのは女性だけではなく男性にもいる、そもそも男性差別ではないかといった意見もある。実際に「男性専用車両」が2022年から2023年にかけて都電荒川線で数回、有志らの自費で実施されている。しかし、鉄道事業者が男性専用車両を導入する気配はないし、定着した女性専用車両に大きな変化があるようには、いまのところみえない。
女性専用車両もまた、性暴力の被害者が女性に偏っている以上、「不利な立場にある女性はとくに守られるべき」という規範意識にもとづいた配慮、こういってよければ「アファーマティブアクション」や「ポジティブアクション」とよばれる方策に支えられている。ただし、女性専用車両が他の先進国でそれほど定着していないことを考えれば、女性を隔離して守るべきであるとするこの配慮は、独特の規範意識に支えられているといえる。
たとえば、イスラム教圏などでは宗教的な戒律上の理由により男女別車両が導入されているところもある。もちろん、日本社会において痴漢が問題化している以上、日本の女性専用車両はプラクティカルな対応として支持するべきだ。ただし、公共空間におけるこうした配慮は、女性を「守る」バリアにもなるが、「遠ざける」ハードルにもなるかもしれない。
日本の「穏やかな電車」には目に見えない規範の網の目がある
このように、性犯罪・性暴力に対する認識・対応が慣習的規範から法律的規範のレベルに引き上げられるにともない、鉄道空間の環境管理化が進んでいったことがわかる。こうした変化に対して、監視社会化・管理社会化、あるいは規範の期待水準の上昇によって息苦しい雰囲気になった(「コンプラ化」)という批判があるかもしれない。しかし、被害をうけやすい女性にとって安全な空間が確保しやすくなっている以上、現状の段階では否定されるべきではないだろう。
また、日本社会における「穏やかな電車」が、そうした目に見えない「規範の網の目」が縦横にはりめぐらされることで維持されてきたと考えるなら、こうした変化(性別分離を空間化・可視化すること)もその延長線上にある。