貪欲で、真面目な勉強家だった

私と蓮舫氏の接点は、二重国籍問題が最初ではない。本人は憶えていないだろうが、まだ、蓮舫氏がタレントだった時代に同じ勉強会に参加していたことがある。もともと、豊かな華人ビジネスマンの娘で、小学校から青山学院に在籍して法学部に進んだお嬢さまだが、自分で生きなくてはと、グラビア・モデルなどとして貪欲に売り出した。

さらに、アイドル路線では長持ちしないと、勉強して報道番組にも進出した。華人らしく、明るくあっけらかんとしていたが、真面目な勉強家でもあった。

思想的には穏健保守といった感じだった。2016年に「私はバリバリの保守ですよ」と語って話題になったことがあるが、民主党政権時代の「事業仕分け」だって、基本は新自由主義的な発想である。

家業はバナナ輸入利権を武器に日本の保守政界に食い込んだ政商で、国会で公明党から追及を受けたこともあり、民進党の地盤である台南地方が基盤である。

2010年5月30日、楊秋興・高雄県県長(当時)が東京都内のスーパーで台湾フルーツをPR。同日夜、麹町のホテルで開かれたパーティーに、蓮舫・参議院議員(左)も駆けつけた(写真=小興 蠟筆/CC-BY-SA-2.0/Wikimedia Commons

最初の選挙公報に書かれた「ウソ」

ただ、本人はタレントとして田原総一朗や高野孟などリベラル派の系列で育ち、その斡旋で北京に留学し、民主党にスカウトされて2004年の参院選に出馬した。党内では野田佳彦元首相に近かった。蓮舫氏の政策論はそういう環境を反映したやや雑多なもので、福島瑞穂氏や辻元清美氏のような左派の闘士ではない。

蓮舫氏が生まれた1967年当時の法律では、国籍は父親の国籍と姓によることになっていたので、中華民国人(当時は国交があった)の謝蓮舫だった。17歳のときに法改正があり、23歳の誕生日まで台湾と日本両方の国籍を維持できるようになり、合法的な二重国籍状態になった。

しかし、蓮舫氏は23歳以降も国籍選択を放置し、法律違反の状態を続けた。さらに問題なのは、2004年に参院選に立候補する際、選挙公報に「1985年、台湾籍から帰化」と書いたことだ。法律で定められた国籍選択手続きをしてなかったのだから虚偽記載なのだが、二重国籍は解消されているとみんな思い込んでいた。