開発を任されたエンジニアは「他人のまねはしたくない」

カメラ付き携帯電話の開発という難題を前に、シャープの山下が真っ先に思い浮かべたのは、変わり者のエンジニア・宮内裕正みやうちやすまさの顔だった。

現行の端末をベースに、大きさ、重さ、形を変えずにカメラを入れ込む。そんな新しいチャレンジを成功させるには、過去にとらわれない独創性が必要だった。上司である自分に「ああしたい」「こうしたい」といつも提案してくる宮内には、誰よりも豊かな想像力とアイデアがある。10年以上独学で勉強を続けるほどの努力家で、物事を途中で投げ出すことはない。もちろん高い技術力もある。

「宮内に託してみよう」

山下は腹をくくった。

山下に「やってくれ」と言われた宮内は、二つ返事で引き受けた。その理由を語る言葉に、宮内の人となりがよく表れている。

「最後発から全部抜いて一番になったら、面白くないですか? シャープがシェア1位だったら、私は魅力を感じていないと思います。人がやったことを真似するの、嫌いなんです。面白くないじゃないですか。それに、好きにやれるんじゃないかと思いました。だって最後発なんだから。失敗してもこれ以上悪くならないでしょ?」

宮内には、カメラ付き携帯電話が、他社に真似される商品になるだろうという直感があった。シャープの創業者・早川徳次は「他社がまねするような商品をつくれ」という言葉を残した。まさにそんな仕事ができる。面白そうじゃないか。失敗したからといって命まで取られることはない。プレッシャーは、ほとんど感じなかった。

前回リコールとなった端末の反省からリベンジを誓う

実は宮内は、部品の脱落でリコール騒ぎになったJ-SHO1の設計を担当していた。J-PHONEやエンドユーザーに迷惑をかけたことを申し訳なく思いながら、この失敗の損失は、これから開発する機種で利益を上げ、何倍にもして取り返そうと考えていた。

「リスクを取らなければ失敗しないが、新しい価値も生まれない。うまくいかなかったことからいかに学ぶかが重要」

座学と実験のサイクルを回し、独学で学んできた宮内の“失敗の哲学”だった。

2000(平成12)年の秋、広島。宮内は、エラーと戦い続けていた。電子回路の設計を見直しても、ノイズが消えない。試作室にこもる日々は続く。

東京では、J-PHONEの面々が総力戦で通信回線の整備を進めていた。カメラ付き携帯電話の肝は「撮って送る」ことにある。端末にカメラが付いても、それだけで写真を送ることはできない。写真という大きなデータを滞りなく送受信するためには、太い回線が不可欠だった。もし再び大規模な通信障害が起きれば、会社の致命傷になりかねない。ネットワークの強化は最重要課題となっていた。