「日本の住宅は20年で無価値になる」と言われる理由
生活様式が変われば住まいも変わり、しかも戦後の貧しい時代には100年住めるような十分な品質の住宅を供給するだけの余力はなく、少しずつ住まいの性能を向上させていった。
実際、耐震基準だけを見ても、1950年に建築基準法が制定され、1971年、1981年、2000年に大きな改正が行われている。大きな改正が行われるたびに住宅品質は大きく向上したが、一方で改正前の耐震基準の住宅は陳腐化していった。
日本の住宅が20年で無価値になると言われているのは、この耐震基準の改正による陳腐化の影響が大きく、ここ30年くらいで、やっと住まいの陳腐化が止まった、と言える状況になっている。
こうした背景を考えると、日本の住宅はスクラップ&ビルドを繰り返しておりけしからん、という批判は、長い時間をかけて住まいの品質向上に取り組んできた人たちへのリスペクトが足りない、かなり乱暴なものだろう。
空き家の処分は困らない、考えるべきは幸せの総量
空き家になる家を残しても子どもに迷惑をかけるだけだ、と心配する人の気持ちもわかるが、ここまで説明してきたように、空き家として残された家も、一定の手間とお金はかかるが処分の方法があるから、そこまで心配する必要はないだろう。
そして、いずれ空き家になるとしても、それまで幸せに暮らすことができた、という幸せの総量と、残された家を処分するというマイナスを合計するとおそらくプラスになる。
こうした考え方は、個々人の家についてだけでなく、社会全体にも適用することができるはずだ。
例えば、タワーマンションはいずれ廃墟になる可能性があるのだから規制しようという意見がある。しかし、筆者の研究ではタワーマンションに住んでいる人たちの幸福度が高いことが示されている。
タワーマンションがいずれ廃墟になる可能性を否定はしないが、その確率と廃墟になった場合の手間やコストと、それまでの数十年間に多くの人が幸せに住むことができたという幸福の総量を考えれば、プラスになる可能性が高い。
将来の不確定なリスクを元に現在の幸せを諦めるべきだ、というのはとても科学的な考え方とは思えない。
考えるべきは、幸せの総量をどうすれば増やせるのか、ということなのではないだろうか。