呪いの言葉

現在知多さんは、両親とも兄とも絶縁し、10年以上会っていない。

「10年ほど前に母方の祖母の法事があり、家族の顔を見たのはその時が最後です。父は7年前に咽頭がんで亡くなったと母から聞き、『やっと楽になれて良かったね』とは思いましたが、葬儀には行きませんでした。現在の母は生きているのか他界しているのかすら知りません。兄はたぶん生きています」

知多さんは6年前、住民票閲覧制限の手続きをした。自分の所在地を知られたくなかった。

「父はアルコール依存症と鬱だったのだと思います。兄は子どもの頃は暴君で、現在はガッツリと心を病み、ひきこもっています。我が家で“好き放題できる権利”を賭けた“イス取りゲーム”に負けた僕は、良い子になるしかなかった。何より、母からの“呪いの言葉”によって良い子になるよう支配されていました。母は幼少期に兄を愛せなかった自分の罪悪感から兄の言いなりになり、兄と僕がケンカをすると、『あなたは優しいから』『あなたは我慢できる子だから』と言って譲ることを僕に強制し続けてきました。“呪いの言葉”というと攻撃的なものを想像する人が多いかもしれませんが、優しい“呪いの言葉”も使い方次第では、とても強力な呪いになると思います」

高校を中退後に一人暮らしを始め、コンビニで働き始めて以降、10年近く母親からの金の無心は続き、知多さんは母親のために自分が稼いだお金を渡し続けた。そして、そのお金が兄のために使われることに心は蝕まれ続けた。

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「母にお金を渡さなければ母が苦しむ。しかし僕が稼いだ金は、僕が憎んでいる兄に渡される。『どっちに転んでも痛い目しか見ない選択を迫られる状況』を、心理用語で『ダブルバインド』『二重拘束』というらしいのですが、何より僕が苦しかったのは、母は僕が兄に暴力を振るわれてきたことを知っていたのに、僕ではなく兄を守り続けたことでした」

知多さんが25歳、母親が55歳の頃、兄からのお金の無心に耐えられなくなった母親は、知多さんに助けを求めてきた。知多さんは母親を信頼できる知人の家にかくまい、「絶対に兄さんに連絡をしないで」と言い聞かせ、自ら兄と対峙。母親に依存し、全く生活力のない兄に家事を教え始めた。

ところが1週間ほど経ち、兄が家事を覚え始めた頃、母親は突然兄のもとに戻っていた。知多さんは絶望した。