「プーチンであれば決断できる」という楽観的観測

本件の対応でもうひとつ深刻な問題は、プーチンが北方領土の返還を決断できる政治家だとの見立てに、情勢分析のプロであるはずの外務官僚がいとも無批判に乗ってしまったことだ。

プーチンは絶対君主的な唯一無二のリーダーというよりも、ロシアの旧態依然とした既得権益の集合体の上に乗ったリーダーというのが、大方のロシア観察者の総意だった。そのようなリーダーであるからこそ、自ら率先して不人気な決断をなし得る立場にはなく、むしろ、既得権益者に利益を分配し、支持層の喝采を浴びるようなナショナリスティックな対応に流れがちとの受け止め方が主流であった。私が外務省のインテリジェンス部門の局長ポスト(国際情報統括官)にあった時、情報、意見交換をする主要国のカウンターパートは異口同音にそうした分析を表明していた。

外務省幹部は「プーチンであれば決断できる」との楽観的観測に傾き、そこに期待をかけすぎてしまった(写真=ロシア連邦大統領報道室/CC-BY-4.0/Wikimedia Commons

こうした見立ては、国際情報統括官組織からはたびたび要路に上がっていた。私も、外務次官、外務大臣、内閣官房副長官等に定例のブリーフィングをする際に一度ならず言及していた。また、従来はこうしたインテリジェンス・ブリーフィングは外務審議官には行っていなかったが、領土交渉の責任者であることに着目し、私の発意で外務審議官(政治担当)にもブリーフィングを綿密に行うようにした。しかしながら、領土交渉に邁進する首相の耳には届かなかったか、届いていても重きを置かれなかったようである。

中露の紐帯に対する浅薄な理解と甘い見通し

いずれにせよ、当時領土交渉に携わった外務省幹部は、「プーチンであれば決断できる」との楽観的観測に傾き、そこに期待をかけすぎてしまった。情勢分析を甚だしく間違えたと言われても致し方ないだろう。

もうひとつの大きな失態は、中露の接近を日本がロシアと領土交渉を進めることによって予防できるなどという大甘な楽観論をまことしやかに打ち出したことだ。米国主導の国際秩序に対する強い反発で自ずと結ばれがちなのが現在のモスクワと北京だ。結果的に、その後のウクライナ情勢、インド太平洋情勢の進展を通じて益々強まってきている中露の紐帯に対する浅薄な理解と甘い見通しを露呈することになった。

のみならず、「所詮日本は米国の言いなりになる存在」と中露に見られてきた現実にかんがみれば、日本がロシアと中国の間に楔を打ち込むことが果たして可能なのか、可能だとしてもそのために払わなければいけなくなるコストが共同経済活動のみならず、返還される領土への日米安保条約の不適用(米軍駐留を認めない約束)、さらには択捉、国後の放棄だとすれば、そのようなコストは日本の国益に見合うのか?

こうした点についての冷徹な計算を欠いていたと言われても仕方がないだろう。