10時間にも及ぶ過酷すぎるラグビー生活

たまにこの倒れ方は尋常じゃないだろうと思うと、マネジャーが側にやってきて頭から例のやかんの水をじゃ~っとかける、ただそれだけ。

やかんの水をかけられてもまだうずくまっている光景は、何やら溺死体を見ているようで、背筋が寒くなったのを覚えています。

聞いた話では、当時の慶應ラグビー部の1日の練習時間は8時間。新入生はその前後に準備と片付けで1時間ずつかかるので、合計10時間はラグビーに費やすそうです。

授業なんてほとんど出られません。これはとてもついていけないなと思い、私は入部をあきらめました。

トヨタ自動車に勝ったその年、上田監督は勇退を決意してラグビー部を去っています。そして翌シーズンから、慶應ラグビー部は長い低迷期間を迎えます。約10年間、それまで常連であった全国大学選手権大会にもまともに出られないような時期が続きました。

この低迷からチームを救ったのが、再び上田監督でした。ただ、その道程は決してやさしいものではなかったようです(上田昭夫著『王者の復活』〈講談社刊〉にその道程はくわしく記されています)。

写真=iStock.com/Jacob Wackerhausen
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「権威が失墜した」ではなく「時代は変わった」と思えるか

フジテレビに勤務していた上田監督が、再び監督としての要請を受け現場に戻ってみると、選手たちがすんなり自分の指示を受け取りません。

そればかりか「外国人のコーチを選んでほしい」などと勝手な自分たちの要望ばかり聞かせようとするのです。かつて日本一にチームを導いた自分が現場に戻れば、選手は自分の話を快く受け入れてくれると思っていた上田監督は、その学生の対応に本当に驚いたそうです。

でもそこで上田監督がすばらしいのは、「何なんだこいつら」と相手を否定するのでもなく、「俺の権威も失墜したな」と自己不信に陥るのでもなく、「どうも時代は変わったみたいだ」とすぐに思ったことです。

やり方を、戦略を変えなければ今の選手は動かせない、そう思ったことです。

そして、実際に彼はやり方を変えました。

まず、練習の準備の仕方や合宿所での過ごし方、果てはどんな練習をするかにいたるまで、ある程度学生に任せるようにしたのです。

もちろん丸投げではなく、最低限守ってほしいルールはこちらから伝えるし、練習に関しては当然経験から導かれる多くの視点は伝えるものの、そこに「お前たちの考え方を大事にしている」というメッセージを多く込めました。

「監督」と呼ばせて威厳を保つことなどはせずに、自分から学生に積極的に近づき、「よう、どうだ調子は。理工学部だろ? 授業のほうは大丈夫か?」などと頻繁に気軽に声をかけました。