なぜ「無題」というタイトルの作品が多いのか

ちなみに、現代アートでは「無題」というタイトルの作品が多いですが、それはアーティストが自身の思惑を超えた見方を鑑賞者に期待して、鑑賞の制約となり得る意味を含んだタイトルを避けて、あえて「無題」という題なき題としているのです(すべてではないでしょうが)。そこにこそアートの可能性があるとさえいえます。

藤田令伊『「わからない」人のための現代アート入門』(大和書房)

《不確かな日常》が伝えてきたものは、鑑賞者にとっても多かれ少なかれ、イメージを共有できるものだったでしょう。誰しも抑うつ的な精神を多少なりとも抱えていますし、年ごとの加齢に伴って自分が古びてきたと感じていることでしょう。そのことが作品あるいは作者と鑑賞者の接点となり、何かが共有できたことによって、鑑賞者は作品の発する未詳のメッセージを「問い」として感じ取ることができるわけです。作品に内包するものが何もなければ、こうした鑑賞メカニズムは起こりません。

作品の発する「問い」に応えるべく、あれこれと感じ、考えることは現代アート鑑賞の醍醐味です。たとえ「答え」がすぐにはわからずとも、そうしている時間そのものが作品と対話していることになります。

このときの鑑賞経験は、「問い」を発してくる作品の面白さを強烈に私に刷り込むことになりました。塩田千春がいまほど著名ではなかった時代です。そのときは30分以上もギャラリーで釘付けになっていたかと思いますが、ほかには誰もきませんでした。いまでは信じられないことですが。

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