「わかりやすい」作品は面白くない

問いの内容によっては作品が陳腐に見えたり、アナクロに感じられたりすることもあるので、問いのテーマはやはり作品性の大きな要素です。ただし、どういうテーマで作品をつくるかはアーティストの問題意識の発露なので、あまりに鑑賞者に媚びて構想するとアーティストは自分を見失う危険があります。

何らかのテーマが設定されてあったとしても、それをストレートに表現していいとも限りません。たとえば、ウクライナ戦争に問題意識を抱き、戦争と平和というテーマをアーティストが選んだとしましょう。そして、反戦メッセージをストレートに表現する作品をつくったとします。するとどうなるか。

アート作品としては案外面白くないものに感じられてしまう恐れがあります。「戦争はやめよう、平和が大切」というメッセージはその通りなのですが、それだけでは文章で訴えているのと変わらず、アート作品である必然性は必ずしもありません。また、あまりにも説明的すぎると鑑賞者は単純すぎる印象を抱きかねません。

アート作品の場合、やはり適切な問い方というものが必要になってきます。そして、鑑賞する側は無意識のうちにも「問い」の訴求力を見きわめているのです。

アートギャラリーで絵画を見ている男性
写真=iStock.com/SeventyFour
※写真はイメージです

なぜか心惹かれたインスタレーション作品

そのように、ひと口に「問い」を含んだ作品といっても、なかなか奥深いものがあります。私にとって忘れ難いのは、もう20年以上も前の話になりますが、塩田千春が2002年9月に西新宿のケンジタキギャラリーで展示していた作品です。

ギャラリーの空間を大きく改装して、その作品は設置してありました。ギャラリーのなかに入ると、ムッとした異常な湿気がまとわりついてきました。

室内には4〜5メートル四方ぐらいだったでしょうか、白いタイルでできた浅いプールがしつらえてあり、そこに朽ちて汚れたベッドが一台置かれていました。ベッドは錆びてボロボロで、スプリングもむき出しでした。ベッドのちょうど頭の位置の上にはシャワーが設けられてあり、水が出しっぱなしになっていました。

シャワーは循環式のようで際限なく水が流れ落ちており、そのため室内中に水蒸気が充満しているのでした。白タイルのプールも泥にまみれ、部屋全体に不穏で退廃的なムードが漂っていました。それが《不確かな日常 死の床》と題された作品でした。

いったい、これは何なのだ、と思いました。決してきれいではなく、洗練されているわけでもないインスタレーション。ですが、不快ではない。むしろ、不思議に心が引っ張られるものがありました。