この街で一生、生きていけるけれど


石巻の商業施設概況

イオンがきてから「おかしく」なったのか、その前から、店主が互いに隣の店で買い物をしない商店街と化して衰退が始まっていたのか、厳密な検証はできない。こちらの興味は、蛇田地区の商業集積の高さだ。蛇田には他にも、ニトリ、ユニクロ、ホーマック、TSUTAYA……と、主だった「バイパス沿いの店」がほぼ揃っている。庄司さんが笑みを浮かべて答える。笑みが皮肉だということは、こちらにもわかる。

「一生、生きていけますよ」

皆さんは「TOMODACHI~」でサンフランシスコを見た。仙台の繁華街も知っている。もちろん東京にも行ったことはあるでしょう。齊藤さん、石巻とはそれぞれ何が違うんでしょうか?

「サンフランシスコは、人、街、建物、すべてが大きい。バリエーションがある。東京は建物は大きいけれど、サンフランシスコと比べるとすべてが狭く感じる。仙台は、東京の都会感を半分くらいなくした感じ。蛇田は、普段使うものが何でも揃うというだけで、都会感や交通の便利さなどを感じない。店の数が圧倒的に少ない。蛇田以外に共通することは、建物が大きく、交通機関が発達していることですかね」

「TOMODACHI~」から帰ってきて、自分が暮らす街がどう見えるようになりましたか。

「今までも海外旅行をしたいっていう気はあったんですけど、それまでは地元に満足してたんですけど、1回アメリカに行って帰って来たら、ほんとうに地元がしょぼく感じられようになっちゃって。アメリカから帰ってきてみると、地元はちっちゃいですね。建物もそうですし、人の視野とか発想とかも。精神的には、アメリカにいるほうが、将来の夢や目的というものを掲げやすい気がします。いろいろなことにチャレンジできそう。発想も、日本では思いつかないことが思いつくように思います。アメリカの人は、全体的に気持ちがおおらかだとおもいました。恥ずかしがらずに自分の意見を主張したり、誰にでも明るく振舞ったり。日本人でそういうことができる人は少ないと思うんです。特に授業中や、日本の政治家のスピーチを聞く時に感じます」

ネガティブなことばかり恣意的に聞くのは反則かもしれない。齊藤さんが思う、石巻のいいところって何ですか。

「海があるのが好きですね。海産物おいしいですし。それと、自然が多いのが好きです。田んぼだったり山だったり。自分の家にはタヌキらキツネやらカモシカやらが出没するので、そういう自然あふれる環境が大好きです(笑)」

災害公営住宅の希望数値を援用すれば、石巻の大人の過半数は、巨大なイオンのある蛇田に暮らしたいということになる。だが、3週間の合州国を体験した高校生たちは、そんな大人たちの街を「しょぼい」と語り、「キティちゃんのランドセルはないんですか?」と口にした大人をじっと見ている。

ランドセルだけではない。イオンも、そして巨大製紙工場も、元を辿れば石巻の外から「やってきた」ものだ。やってきたものは、常に去っていく可能性を孕む。齊藤さんが語ってくれた「石巻のいいところ」は「やってきたもの」ではない。すべて昔からあるものだ。

次回は北上川を遡り、岩手県奥州市に3人の高校生を訪ねる。

(明日に続く)

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