「一見すると何もないところ」に立つ
「一方で花崗岩の壁って岩肌がざらっとしていて、つかめるポイントが視覚的に分かり難い。緩やかな起伏を効かせて登っていくわけだけれど、最初は『グレーの壁がばんと一枚ある』ような感じで、どこをつかめばいいのか、どこに足を乗せて立てばいいのかも分からなかった。その中で、2メートルくらい離れたホールドに飛びついたり、一見すると何もないようなところにすっと立ったりしなければならないので、求められる内容が幅広く、バラエティに富んでいるんです」
――そのような「未知」の領域を、トレーニングによって減らしてきた、と。
「はい、未知の部分というのは、最終的には行ってみないと分からない領域が必ず残るわけです。でも、グレーのざらっとした起伏であっても、何度も同じような壁でトレーニングを繰り返すと、『カジュアル』に感じられてくるものなんです。そうすると、楽にすっと取りつけるようになっていく」
――サラテのオンサイトトライのためのトレーニングとは、どのようなものだったのでしょうか。
「サラテのオンサイトトライを思い付いた当時の僕は、まだ25歳ですからね。若さに身を任せて、自分の能力の限界値を確かめるように、1日に5、6時間は登っていました。友達の家に3日くらい泊めてもらって、サンフランシスコのジムにひたすら通いました。そうしてフィジカル的な要素を鍛えた後は、ヨセミテに戻って不確定要素の強い壁に取り組み、いろんなルートやシチュエーションを登って感覚を研ぎ澄ませていきました。人工壁でフィジカルを鍛え、実際の岩場で感覚と発想を磨く。それをだいたい3週間のサイクルで繰り返していましたね。そうやって、様々なシチュエーションを身体に経験させて、自分のものにしていったんです」
「身体」と「心」と「技術」の結びつき
――様々なシチュエーションとは?
「1000メートルの壁を何の情報もなしに登ろうとすると、イメージの中にいろいろなシチュエーションが出てくるんですよ。例えば、90度よりオーバーハングしている大きなルーフ(ほぼ180度の壁)。あるいは『スラブ』といって何もない垂直よりも寝ているような壁。それから、プロテクション(安全を守るためのもの)が全く取れない状態に陥ったとき――。
それらのシチュエーションに直面した時、では、自分はどう登るのか。頭の中で考えているだけでも、起こり得る難しい状況が無限大に広がっているんです。だから、トレーニングではその発想の中で生まれてくるものを、こういうケースではどう動こう、こう対処しよう、と一つひとつ埋めていくんです。そして、どれだけものすごいシチュエーションを想像していても、実際の壁ではそれ以上のことも起こる。
だから、『未知』のシチュエーションを一つでも減らすためには、1年、2年とトレーニングを続けて体力的な数値を上げていきながら、ひたすら登りこんでいくしかないんです。フィジカルの数値が上がれば、これまで難しかったことが簡単になる。そうすると想像力がさらに広がり、次に必要な技術の目標も見える。身体と心と技術の結びつきを、三位一体にしながら鍛えていく感覚です」