ウクライナ侵攻の直前の2022年2月21日、ロシアは東部のルガンスクとドネツクを独立国家として承認したが、クリミア併合と同じプロセスを追求するためであった。
ウクライナ侵攻を許した西側諸国の不作為
クリミアを併合するまでのプーチンの外交軍事の成功は、版図を広げ、大国の復活を目指すことを望むロシア国民の喝采するところであった。支持率が上がるのは当然である。
周到な準備と果敢な行動力がプーチンの成功につながったことは否定できないが、同時に忘れてはならないのは、それを可能にしてきたのはアメリカをはじめとする西側諸国の無関心と不作為であったということである。
ベルリンの壁が崩壊し、ソ連邦が解体した後の最大の問題の一つが、核兵器の管理である。
1968年に国連で採択され、1970年3月に発効した条約に、核拡散防止条約(NPT)という取り決めがある。それは、アメリカ、フランス、イギリス、中国、ソ連(ロシア)5カ国以外には核兵器の保有を認めないという約束である。核保有国を増やさないということでは評価できるが、批判的に言えば、国連安全保障理事会の常任理事国のみで核兵器を独占するということである。
唯一の被爆国である日本は、1970年2月に署名し、1976年6月に批准している。締約国は191カ国・地域にのぼる(2021年5月現在)が、参加していないのはインド、パキスタン、イスラエル、南スーダンである。5大国による核兵器の独占に反対しているからである。南スーダン以外の3カ国は既に核兵器を保有していると見られている。
プーチンを増長させたクリミア併合
ソ連時代には、連邦を構成していたベラルーシ、ウクライナ、カザフスタンには核兵器が配備されていた。もし、この3カ国が独立後もそのまま核兵器を保有し続ければ、核兵器保有国が3カ国増えることになってしまい、NPTに違反することになる。
そこで、ソ連邦から独立する際に、この3共和国がNPTに加盟し、核兵器を放棄する(具体的にはロシアに引き渡す)ことにしたのである。1994年12月5日に、ハンガリーの首都ブダペストでOSCE(欧州安全保障協力機構)会議が開かれ、核放棄の見返りとして、ロシア、アメリカ、イギリスは、この3カ国の安全を保障することを約束した。こうして署名された文書を、ブダペスト覚書と呼ぶ。
2014年3月にロシアはクリミアを併合したが、ウクライナはブダペスト合意違反だと抗議した。ロシアは住民投票の結果だと反論したが、クリミア併合がブダペスト合意の違反であることは明白である。しかし、アメリカもイギリスも経済制裁は科したが、それは重いものではなく、合意を遵守させるための具体的・実効的な手は打たなかったのである。このような西側の姿勢が、プーチンを増長させたといえよう。