「気になって調べてみたら、アイスキャンデーで有名なところが福岡に2カ所あったんだけど、飲食店が作っていて、その場でしか売れない商品でした。椛島さんのところはジェラートの製造免許があるから、たくさん作って卸すことができるんです。それでアイスキャンデーがいいんじゃないかと話をしたら、面白いね! と」

八智代さんは、ここに浅羽さんの強みを見出している。

「本当に知識欲が強いっていうか、これってどうなってるんやろっていうのをすごく調べるけん、その過程で、『ひょっとしたらこれ誰もやってねえんじゃね⁉』みたいな案が出てくるんですよ。すごい才能やなと思いますね」

雑談から生まれた「ようかんアイスキャンデー」

浅羽さんと椛島さんは、戦略を練った。まずは、杏里ファームのアイスキャンデーが話題になるようにする。それを見た他社からOEMを受けて、売り上げを確保する。最初の一歩として、「思いっきりかわいくて、ウケがいいパッケージにしよう」と決まった。

ここからは、八智代さんが本領を発揮。「椛島さんやけんカバでよかろう」と最初に描いたカバのイラストが採用される。統一感を出すため、「椛島氷菓」というブランド名も考え出した。

筆者撮影
カバ印アイスキャンデー。「椛島さんやけんカバでよかろう」の一言でロゴが決まった

迎えた2011年2月、真冬の2月に「カバ印アイスキャンデー」の販売開始。仕上がりに手応えを感じていた浅羽さんは、誰も来ない店の前で不安そうにしている椛島さん夫妻に「心配せんでもそのうち絶対に売れますよ」と伝えていた。

椛島栄子さん(写真提供=浅羽雄一)

その予想は当たり、冒頭に記したように、今では年間80万本を売りながら、OEM(Original Equipment Manufacturer:製品の製造だけではなく、企画や設計までを他社メーカーに依頼する製造手法)の依頼も右肩上がりで、嬉しい悲鳴を上げている状態だという。杏里ファームの椛島さんの妻で、アイスキャンデー誕生の前後もよく知る椛島栄子さんは、浅羽さん、八智代さんとの出会いをこう振り返った。

「私、浅羽さん、八智代さんとのご縁が神様からのプレゼントだと思っているんですよ。小さなアイス屋さんがこんなことになって。皆さんがうちのアイスキャンデーをかわいいって言ってくれたり、たくさんの人に手に取ってもらえるようになったのも、カバさんのロゴのおかげです」