情報過多は「不幸の源泉」…SNSとランキングが苦しみになっている

もうひとつ、日本人を幸せから遠ざけているのが「情報過多」です。

たとえば、SNS。フェイスブックは、リア充を誇る幸せ自慢の場で、X(旧Twitter)は、自分と違う意見の人を叩く場になっている。

わざわざ知る必要のない情報を見て、妬んだり悔しがったり、腹を立てたり誰かを憎んだりしている。比べなくてもいいことを比べて、そのせいで苦しんでいます。

また、日本人のランキング好きも、時に苦しみの原因になります。

もう何十年も、「学歴社会をやめよう」「人と比べるのはよくない」などと言っているけれど、日本人は順番をつけるのが大好きです。大好きなだけでなく、それを勝ち負けととらえて「負けたくない」と思うせいで、自分には本来必要のない指標に振り回されて、本当に大事なことを見失っている。

「なんとか指数」や「ランキング」なんて、いい加減なものです。お遊びで楽しむ分にはいいのですが、それを絶対的な評価基準にしてしまうと、辛くなります。

幸せに関しては他人の意見はどうでもいい。

ポテトチップスを食べるのが幸せだという人に、周りは「そんなに食べたらデブになるよ」と言うかもしれないが、本人がそれで幸せなら、余計なお世話です。

人は人、自分は自分という割り切りが、この国ではどうも難しい。同一性が高い、同調圧力が高いせいです。

人は人、自分は自分

理屈ではみんな分かっているはずです。「人は人、自分は自分」だと。

だけど、SNSで友人が「宝くじに当たった」と喜んでいるのを見つけると、途端に「なんでこいつがこんないい思いをしているんだ!」と腹を立てる。妬む。自分にはまったく関係のない話なのに。

写真=iStock.com/Kayoko Hayashi
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最近、嫉妬のパワーが特に強くなっているように感じます。

自分が「主流」になれていないという焦り、余裕のなさ、生活レベルの低下などがその原因なのでしょうか。もしそうなら、社会全体をボトムアップしていければ、人の心はもっと豊かになるのでしょうか。

ここで考えておきたいのは、高度経済成長で日本が豊かになったのは、その前がとても貧しかったからです。そして、ベビーブームが起こって人口爆発と呼ばれるほどに一気に人口が増えました。

同世代人口の多い団塊世代の人たちは、きっと死ぬまで幸せでしょう。なぜなら、マーケティングのターゲットが常にそこにあるからです。要求は次々とかなえられていく。

一方、同世代人口が少ない若い世代は、そういう意味では見捨てられています。

けれども、若者たちに「この国に生まれてよかった」と思わせてあげたいと願っている大人たちはたくさんいます。ただ、何をすればよいのかが分からない。

「若いひとは十分に満ち足りているから、これ以上の幸せを求めない」という意見がありました。これ以上を望むのはリスクがあるから、現状で満足しているのじゃないかと。

しかし、動物は、未来に向かって気合を入れて生きていかないと、その種は滅びます。