高校を中退して渡米、「勉強の鬼」になる
孫の成績は、ずば抜けていた。
数名の優秀な学生とともに学長賞を受けた。
留学生では初の快挙である。
孫に学長賞を手渡した当時のアイリーン・ウッドワード学長は回想する。
「私たちは、ミスター・ソンのことを誇りに思っていますよ」
このホーリー・ネームズ・カレッジは「スモール・カレッジ」と呼ばれ、幅広い教養を身につけるための大学だ。モットーは名誉(Honor)、高潔(Nobility)、勇気(Courage)。校章は中世の紋章から取ったもので、ホーリー・ネームズ修道女会の紋章を継承し、楕円に囲まれた十字架とユリの花々は、イエス・キリストと聖母マリアの聖名(ホーリー・ネームズ)を象徴している。
孫が入学する4年前の1971年に、男女共学となった。このころ、外国からの学生を受け入れるようになった。
1975年当時、生徒数は800人。1クラス平均15人から20人。
大きな社会変革の波が大学にも押し寄せていた。時代は、孫が入学する直前に大きく変化してきた。厳格なカトリック系ながらシスターも修道服ではなくて、ふつうの服を着るようになった。
校風ももっと開かれたものにするため、宗教を押しつけないで生徒が関心を持つのに任せようという方針を打ち出していた。アメリカの教師も学生も異なった文化を理解するのがたいへんだった。
教室の最前列に陣取り、眼をきらきら輝かせていた
1990年代に同大学で学んだ後輩の川向正明は語る。
「とてもリベラルな雰囲気のいい大学です。いろんな人種がいて、みんなすごく仲がよかったですよ」
経済学、歴史学、政治学など15の専門課程に分かれている。とりわけ、日本からの学生に人気があるのは介護学である。
すでに教壇を去っているが、マルグリット・カーク女史は、孫のことを鮮明に記憶している。
月、水、金の朝8時からの授業だった。
彼女は1975年と76年に会計学のクラスで孫を教えた。
ゴム草履をつっかけて、特製のズボンをはいた孫は、キャンパスのチャペルの横にある108段の長い石段を駆け降りてくる。教室に飛び込むなり、孫はいつも一番前の席に陣取った。
「目立ちましたね。彼は眼をきらきら輝かせていました」