「缶ジュース」はどんな形に見えるか

あなたの目の前に一本の缶ジュースがある。まず真正面に立ってみよう。どんな形に見えるだろうか。実際は円柱だが、そうは目に映らない。シルエットだけに限定すれば長方形に見えるはずだ。それを確認したうえで、次に上方にアングルを移動させてみよう。そうするとまん丸に見える。

大野哲也『大学1冊目の教科書 社会学が面白いほどわかる本』(KADOKAWA)

これが社会学的方法論である。

なんだか、凡庸すぎて馬鹿にされたような気分になるかもしれない。しかしこのとき頭のなかでは、相当複雑な作業をしているのだ。円柱であることがすでにわかっているモノを、その「わかっている」をいったん横に置いておいて、長方形や真円だと認識・判断するのだから。

パプアニューギニアの老人をもう一度振り返ってみよう。彼は戦争が悲惨なことは当然ながら理解している。そのうえでそのような感情や知識をいったん留保して、戦場で経験した楽しい思い出を語ったのである。「凄惨な現場だったけれども、こういうこともあったのだよ」と。

自分自身のことも「新たな視点」で見てみよう

私たちは日常生活を生きる実践の蓄積によって、知らず知らずのうちに視線を据えつけてはいないだろうか。「戦争はもっとも愚かな行為」「社会から犯罪はなくすべき」「女性がスカートを穿くのはよいが、男性がスカートを穿くのはおかしい」など、「○○はこうあるべき」というような価値観や意見、見る角度を固定化してしまっている。あるいは日々を生きるプロセスで、周囲(=社会)からの影響を受けて一定の型に嵌め込まれていっている。

老人が戦時下での楽しい思い出を語ったことに驚いたのは、私に「戦争は100%悲惨だ」という前提があったからだ。社会学的思考法は「なぜ私は、戦争は100%悲惨だと思っているのか」と自問自答することにつながっているのだ。

思考実験としての社会学は、自分自身について一所懸命に考えることと同一だ。「あなた」の存在をいったん保留したうえで、あなた自身について考えることなのである。こうした学問は、小中高校で学ぶ知識のありようとは異なっている。そこでの勉学は基本的に、記憶することと、正しい答えを追求することに重点が置かれているからだ。

社会学は人生を豊かにする

あなたは自分自身をどのように捉えているだろうか。いろいろな性格や志向性や習慣があることだろう。そのような複雑怪奇な自己を、自分以外のモノやコトを経由して、いままでとは異なった立場から再考してみる。するとジュースの缶が長方形や真円に見えるように、新しい自分の姿が浮かび上がってくるに違いない。

知的好奇心を自在に操りながら、社会について、あるいは多様な生き方を実践している人びとの意識や行為の深層に迫る。それが社会についての深い理解、人びとに対する柔軟な諒解につながっていく。チャレンジングでスリリングな知的冒険の先には、あなたなりの「よりよい社会」や「よりよい生」への扉がひらけているはずだ。

社会学は、あなた自身の人生の可能性を広げるばかりか、生き方を彩り豊穣にしていくことだろう。これが社会学の醍醐味であり、社会学を学ぶ意味である。

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