この当時、東北各地と東京(上野)を結ぶ列車は、行先や通るルートごとに違う列車名が付されていたため、東北人それぞれの町の風土と心は、列車名で繋がっていた一面があった。
盛岡行きの「やまびこ」や青森行きの「はつかり」、秋田行きの「つばさ」、山形行きの「やまばと」などが代表的だが、上野駅ではその列車が発車するホームに行くと、行先の町や沿線のお国訛りが聞けるほど根付いていた。
その中、「ひばり」は仙台行き。仙台人の心をも結ぶような大切な列車だった。その列車が仙台駅を発車するとき、つまり、ふるさとの家から旅立つ瞬間のこのとき、“純仙台生まれ”の「青葉城恋唄」の優しいメロディが見送ってくれるわけである。
仙台人の琴線を揺さぶらないわけがないだろう。まさに、ふるさとや駅を大切にしたいという温かな心と列車が持つ力を知る、駅長ならではのアイデアだったと思う。
この歌をきっかけに仙台は、音楽の都を意味する“楽都”とも呼ばれるようになっていく。
「青葉城恋唄」の大ヒットにより、さとうさんが歌番組への出演などのために東京へ行くことが増えた。
実はさとうさんは「乗り鉄」でもある。仙台から東京へ行く際、今は最短で一時間半あまりで着く東北新幹線を利用するが、それ以前に走っていた列車の中で過ごした時間を懐かしむ。当時は特急「ひばり」に加え、上野~青森間を走っていた夜行列車もよく利用したという。