自分が育ったローカルがあってこそのグローバル

【井上】「グローバル社会で生き抜く力」などとよく言われますが、私はそもそも「グローバル人材にならなきゃいけない」というのもよくわかりません。背景には経済界からの要請があるのかもしれませんが、子どもの実感が伴わないままにグローバル人材がどうこう言っても仕方がないですから。

学校にいるとよく思うのですが、子どもが属しているコミュニティって、まず家庭があって、次にクラスがあって、学校があります。そして地域があって市と県があって、日本があって……と広がっていくわけですが、いきなり海外と比較すると戸惑いが生じてしまうのではないでしょうか。「自分」と「世界」の間が抜けているのではないかと。

それよりは、身の回りの生活を大切にしながら、ローカルな部分から広げていくように考えるほうがいいのではないかと思います。

【加藤】地続きで考える、ということですよね。海外で活躍している日本人の方々と話をしていると、実はローカルなところにまだたくさんの日本らしさが眠っているのに、なぜそこを見ようとしないままレッドオーシャンで戦おうとするのか、とよく言われます。「これからはプログラミングだ!」「英語力だ!」と血眼になったところで、すでにインドや中国のような国にはそう簡単に勝てるわけがないのに、と。

それよりも、日本には海外の人たちが羨むようなものが、哲学的な概念といったものも含めてまだたくさんあります。ですから、井上先生がおっしゃるように、もっとローカルなところに眠っているものに気づかせてあげるというようなことであれば、地元の先生たちも教えられるのではないでしょうか。プログラミングをやったことがない先生がいきなりプログラミングを教えるのは難しいかもしれませんが、その地域で続いてきたお祭りのことだったら、先生も教えやすいと思います。

そういう身近なところからこそ、言葉やコミュニケーション、リサーチなどのスキルが伸びていくのですよね。

自文化理解があってこそのアイデンティティ

【井上】おっしゃるとおりです。個人の体験や身近な知識、文化を軽視してしまう流れって何なのでしょうね。共有できる知識にしか価値がないということなのでしょうか。共有できない個人的な知識だからこそ、他者との対話が生まれると思うのですが。

井上志音著、加藤紀子聞き手『親に知ってもらいたい 国語の新常識』(時事通信社)

【加藤】今、日本の郊外に行くと、スーパー、量販店、ファミレスなどどこも似たような景色が広がっていますよね。でも、海外の人たちが価値を見いだす日本の風景はそういうものではありません。

【井上】「グローバル社会で生き抜く力」がどういう力なのかと考えると、確かに語学力や異文化への理解力もありますけれども、やはり自分の文化が軸です。自文化理解があってこそのアイデンティティですよね。

【加藤】そうですね。自分が何者なのか、どこから来たのか、どんなところで育ったのか、というように、まず自分のストーリーを語れなければなりません。

グローバルって本来そういうことですよね。自分が育ったローカルがあってこそのグローバル人材なのであって、そこを履き違えてはいけないのではないかと感じます。

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