新しい調味料の開発を目的としていたうま味研究
池田が研究を始めた動機は、国民の栄養状況を改善したいという思いだった。日本初の医学博士である三宅秀が唱えた「佳味は消化を促進する」という説を目にした池田は、「佳良にして廉価なる調味料を造り出し滋養に富める粗食を美味ならしむること」がその一助になると考えたと後年振り返っている。研究の最終的なゴールは、昆布のおいしさを活用した調味料をつくることに最初から設定されていたのだ。
日本はその後も、うま味の研究を牽引していった。その際に手がかりとなったのは、やっぱり、だしだった。
1913年(大正2)、池田の研究生だった小玉新太郎によって、かつお節のうま味成分がイノシン酸に起因することが解明された。さらに1957年(昭和32)、ヤマサ醤油研究所の国中明はイノシン酸を研究する過程で、グアニル酸の塩にも強いうま味があることを発見。のちに武田製薬工業食品研究所の中島宣郎によって、干ししいたけのうま味成分がグアニル酸であることも特定されている。
また国中らは、アミノ酸系のグルタミン酸と、核酸系のイノシン酸やグアニル酸を組み合わせると、飛躍的にうま味が増す「うま味の相乗効果」が生まれることも明らかにした。つまり、昆布とかつおの合わせだしは、理に適った方法だったことが判明したのだ。
脂肪分が足りない淡白な日本食だからだしが発展した
昆布、かつお節、干ししいたけ。日本でだしとして使われてきた食材から、次々とうま味が発見されたのはなぜか。
その理由は、日本の食生活が野菜や穀類を中心に、魚や大豆製品などのタンパク質が加わった淡白なものだったからだといわれている。
味覚研究で知られる栄養化学者の伏木亨は、料理のコクを生み出す3要素として「糖と脂肪とダシのうま味」を挙げる。長く輸入に頼っていた砂糖が庶民の口に入るようになったのは江戸時代後期のことだ。肉類や乳製品、油脂といった脂肪分とも長く縁遠かった。淡白な食事のもの足りなさを補うにはうま味が欠かせなかったのだ。
グルタミン酸を豊富に含む醤油やみそと同様に、だしもまたうま味を加えるための解の一つだった。池田はそのだしをさらに進化させ、手軽にひとさじで料理にプラスできるようにしたのだった。