町中華が生き延びてきた背景に化学調味料あり

本では、個人経営の店が多い町中華が生き延びてきた理由を「化学調味料=化調」による「中華革命」があったからだと述べる。多くの店が「化学調味料」を使うことで、ベーシックな味が確立された。しかも、その味はすでに人々の舌になじんでいたものだった。

「ぼくが子どもの頃は食卓に味の素やハイミーが当たり前の顔で置かれていた。家メシからしてそうなのだ。昭和30年代生まれは化調で育ったと言っても大げさではないだろう。日本中が化調に夢中だったのだ」

「ハイミー(発売当時はハイ・ミー)」は味の素よりもうま味をパワーアップさせた調味料で、1962年(昭和37)に味の素から発売された。私は昭和40年代末生まれのせいか、「化調で育った」までの実感はない。でもこのくだりを読み、そうだったのか、ブレがない町中華の濃い味の陰で「化調」の存在が少なからぬ影響を及ぼしていたのかとつながった。

最近、味の素をめぐる是非論が再燃している。表から見えなくなっていた味の素を再び日の当たるところへ引っ張り出したのは、SNSという新しいメディアの登場だった。

その矢面に立っているのが、バズレシピで有名になったSNS発の料理研究家のリュウジだろう。彼のレシピ本や動画には「うま味調味料 3振り」といったフレーズがよく出てくる。

2020年(令和2)の料理レシピ本大賞を受賞した『ひと口で人間をダメにするウマさ! リュウジ式 悪魔のレシピ』(ライツ社、2019年)では、よく使う調味料の一つとして挙げている。さらにうま味調味料に対してだけ、コンソメやだしのように風味がつかず、うま味だけを足せる「素材を活かす調味料」だとわざわざ断わっており、その言い分には一理ある。

うま味調味料をめぐるジェネレーションギャップ

おもしろいのは、1986年(昭和61)生まれのリュウジの家に味の素はなく、あまりなじみのない調味料だったと語っていることだ。味の素の味を知ったのは祖父母の食卓。しかも祖父は町中華の元料理人で、その祖父から味の素の使い方を教わったという(『料理研究家のくせに「味の素」を使うのですか?』河出新書、2023年)。

またしても町中華である。

今や町中華の人気はうなぎのぼりだ。テレビ番組や雑誌でローカルな店が次々と取りあげられ、我が家の近所の店でも連日行列ができている。見てみると、並んでいる客の半数以上は若い人だ。若い世代にとって、町中華は昨今流行りの昭和レトロを体験できる空間の一つにちがいない。町中華は在りし日を懐かしむ昭和生まれだけではなく、昭和を知らない若い世代も巻き込み、ちょっとしたブームになっている。

餃子とチャーハン
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リュウジを筆頭に若い世代の多くにとって、「化調」で味を決めた町中華の味は決して懐かしい味ではない。それは、裏を返せば先入観もないということだ。世代による距離感の違いが、うま味調味料をめぐる議論の火種を大きくしているのかもしれない。

日本のうま味の変遷を語るとき、避けては通れない調味料。まずはそこから話を始めてみよう。