数字やデータも時に人を欺く

たしかにそこで示された数字のみに着目すれば、全国で下位なのは間違いない。でも、前知事、前々知事時代からの府内総生産の推移に着目すると、別の「事実」も浮上してくる。

長らく右肩下がりだった府内総生産は僕の任期中に底を打ち、そこから徐々に上昇しているのが明らかに見て取れるはずだ。そこに光を当てず、部分的なデータを切り取って、「橋下府政は成果を生み出さなかった」という1つの意見を突き付ける。それはフェアじゃないし、なにより府民に誤解を生む。

繰り返すが、僕を無能だとするその「意見」自体は、自由だ。日本には表現の自由がある。誰かが誰かのことを好む・好まない、評価する・評価しないは、個人の自由。だから「橋下は無能だ」という人の好みを、批判するつもりはない。

そうではなく、ここでみなさんにお伝えしたいのは、ある特定の数字やデータとはそういうものにすぎないということだ。

切り取り方しだいで意味合いはがらりと変わる。もっと言えば、容易に人を欺きもする。世の中にあるさまざまなファクトは決して鵜吞みにできないということだ。

報道や言論は、数字やデータを駆使してある結論を導く。数字やデータは無機質だから、そこにはフェアな視点があるように思える。でも、その結論までもがフェアだとはかぎらない。

数字やデータは語りたいストーリー(物語)をつくり出すために、時として恣意的に使われる場合もあることを覚えておいてほしい。

提供=TNマネジメント
橋下徹氏

同じデータからでも真逆の結論を導くことができる

例えば、「日本の国際競争力は低下している」という意見がある。でも同時に「日本の国際競争力は向上している」という真逆の意見も存在する。

では、どちらかがウソを述べているのだろうか。そうではない。

どのデータを使い、どの現象に光を当てるかによって、結論は変わりうる。

2023年度上期、日本の輸出額は増え、経常収支額は12兆7064億円の黒字(財務省発表)だった。年度の半期としては過去最高額だ。そのデータを重視すれば、「国際競争力がある」という結論に至るだろう。

でも2023年の日本の名目GDP(国内総生産)は633兆円で、前年比0.2%減だ(国際通貨基金の調べ)。1997年以降、日本の名目GDPは横ばいという事実に光を当てれば、いくら輸出額は増えていても、「競争力がある」とは言い切れない。

さらに近年は日本国内で生産するより、海外に拠点を置く事業所も増えている。そうした海外生産部分が潤ったところで、日本国内の雇用が増えなければ、日本人に利益が還元されているとは言えない。

要するに「国際競争力がある」も「国際競争力がない」も、どちらの結論も、各種データや数字を駆使すれば導き出せるのだ。