心を揺さぶる「のんびり屋」
1950年12月、宮崎市で生まれた。小学校に入るころに父を亡くし、母の実家がある西都市へ転居。高校を出るまで、自然の豊かな里で母たちとすごす。郷土愛、そして母親思いは、強い。福岡にある九大の経済学部時代も、74年4月に就職してからも、ほぼ2カ月に一度のペースで、母の顔を見に帰郷した。
入社して、本社の人事課に5年いた後、八重洲にある東京支店へ。丸の内や大手町にある企業の総務、秘書などの部署を、飛び込みで回る。同僚たちは数字を出しやすい代理店回りに力を入れたが、別路線を好んだ。お客の話を直に聞けることが、楽しかったからだ。
北海道へのスキーツアーが全盛のころで、パンフレットを手に、いろいろな人と親しくなり、いまでも付き合いが続く人もいる。ときにチョンボをしても、挫折感など生まれない。のんびり屋の気質が、助けてくれた。「宮崎県人は、みんな、のんびりしている」と口にし、自らも、のんびり屋を公言する。「丸顔で、人のよさそうな、ぼそーっとした風貌が、みんなに『この人は、人を欺かない』と思わせる」――歴代の部下たちの、共通した感想だ。
「巧詐不如拙誠」(巧詐は拙誠に如かず:こうさはせっせいにしかず)――表面を巧みにとり繕うようなやり方は、拙なくても誠実なやり方には勝てない、との意味だ。秦の始皇帝が国家の統治理論としてよりどころとした『韓非子(かんぴし)』にある言葉で、伊東流は自然にこの「誠実」を重ねている。故郷がくれたものの大きさが、よく、うかがえる。
今年4月に社長に就任し、いきなり、難問に直面した。2010年から成田と羽田の発着枠が増大するのに向けて、米ボーイングの最新鋭中型機「787」を導入する計画を立てていた。全日空が新鋭機の最初の採用企業で、期待は大きい。だが、その開発が、相次ぐ不具合の発見で遅れている。8月27日に5度目の納期延期が発表され、1号機は2010年の10月~12月期になる。当初の予定より、2年半も遅れる。
人口減の時代に入り、高齢化もあって、国内線の利用客増加は、そうは望めない。やはり、国際線で成長するしかない。それは、よく承知している。だから、発着枠の増大に備えて、新たなビジネスモデルを模索する。ただ、航空会社にとって「ユニークなアイデア」というのは、難しい。同じ飛行機を使い、同じような仕様で、同じようなサービスを提供する。お客に感じてもらえる違いがあるとすれば、結局は、企業の風土やサービスマインド、つまりサービスする「人」の違いだ。全日空が大事にしてきたのは、そこだ。キーワードは、大橋洋治会長の社長時代から続く「安心、温か、明るく、元気」。それらが、新鋭機や新路線と相まって、お客の満足度を高める。
でも、あわてない。2010年から4年間の中期経営計画の決定も、年末までに延期した。「拙誠」の強さが、「のんびり屋」にはある。