心が折れ、暴行への引き金が引かれた瞬間

半年が経ち、ぽつぽつと保育園を欠席するようになったころ、不安とイライラが怒りになり、初めて三女に暴行を振るった。以後、死亡までの1年半で、押したり払いのけたり、壁にぶつける、床に転がすなどの暴行は50回に上った。

1LDKのアパートでの暮らしぶりは次第に歪んでいく。三女がコロナ濃厚接触者となったあるときから、母親と姉2人はリビングで生活し、1人で寝室に隔離される生活が常態化していた。

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虐待の疑いを察知して児相に通告したのは保育園だ。しかし、保育園に不信感を抱いた母は登園回数を減らしてしまう。

2022年夏以降、登園は完全に止まり、母は白飯と菓子とともに三女を1人で自宅に残し、車で1時間ほど離れた町にある実家の工場に仕事に行っていた。1日のうち、三女に話しかけるのは、起きたとき、朝ごはん、出かけた先から帰宅したとき、夕ごはんを渡すときの5回。爪は一度も切ったことがなく、入浴回数は少なかった。

ある日、仕事から帰宅すると三女がトイレを失敗した形跡があった。だが、その日に限って三女はおもらしを認めなかった。

「繰り返して教えてきたトイレトレーニングに三女が失敗したのにそれを認めませんでした。積み重ねてきたことが崩れて、そのとき、心が折れたんだと思います」(被告)

こうして死亡に至る暴行への引き金が引かれた。床に頭を打ちつけた際、「ゴン」という激しい音がしたという。シーツを思いっきり引っ張って転倒させた翌日の出来事だ。

遺体の司法解剖では虐待による強いストレスを物語る胸腺の萎縮が判明した。

母親は出産時でさえ周囲の人に相談できなかった

虐待を把握した児相は児童養護施設に預けることを提案したが、母親は断っていた。

「なぜ預けなかったんですか。預けていれば三女は亡くならずにすみましたよね」

女性検察官が詰め寄る。

「夏には動くつもり(預けることを検討する、の意味)でした。でもできませんでした」
「ゆっくり考える時間がほしかった」
「(預けてしまったら)三女が私の元に帰ってこなくなると思い、預けられませんでした」

被告はごめんなさいとしゃくりあげた。

公判の終盤に差し掛かり、検察官は厳しく追い込んだ。

「なぜ日頃から周囲に相談をしなかったんですか」

だが、そもそも被告は、女性にとって人生で最大の肉体的恐怖であるはずの出産でさえ相談することができなかった人だ。公判は終盤までこの点に注目することなく進行してきた。挙句に検察官が向けたこの問いは、大きく的を外している。

一方で検察は、児相の対応には訪問を怠る過失があったなど、三重県が認め、報道された事実には言及しなかった。被告は孤立出産によって受けた身体と心のトラウマのケアを受けるべきだったはずだが、専門家の支援につなげられることはなかった。そうした事実の取捨選択は裁判員裁判において公平な審理の妨げにはならないのだろうか。