働きながら女児3人を育てるシングルマザー

初公判の冒頭、弁護側は傷害致死罪の起訴事実を認め、争点は量刑となった。

まず、検察が「被告が2019年2月に自宅アパートの浴室で出産し、熊本市にある赤ちゃんポストに預け入れた」というエピソードを読み上げた。4カ月後に赤ちゃんは熊本市の乳児院から津市の乳児院に移され、2歳の誕生日を迎えた翌月、母親と長女・次女の計3人が暮らす家庭に引き取られた。母親は未婚で職業は工員。実家の営む工場に勤務していた。

直接の死因となった暴行のあらましはこうだ。

一緒に過ごす生活が始まって2年2カ月が過ぎたある夕方、三女が布団の上に片足を乗せた状態で立っていたにもかかわらず、母が思いっきりシーツを引っ張り、三女は後ろ向きに転倒。後頭部を激しく床に打ちつけた。続けて翌夕にはローテーブルの上に立っていた三女の背中に右手を振り下ろして叩き、今度は前に向かって転倒。2日連続で頭部を強打したことから3日後に体調が急変し、死亡した。

「上の子2人とは、つながり感が違った」

「こうのとりのゆりかご」から望んで取り戻したはずだった。ところが、家庭に迎え入れた直後から母子の関係はつまずいていた。

「上の子2人とは、つながり感が違った」
「この子が、私の子どもなんやなあという感じ」

被告は微妙な違和感を抱いていたのだと繰り返し語った。一般に、乳幼児期は母子間の愛着(アタッチメント)の形成に重要な時期とされるのに対し、母子が一緒に暮らすようになったのは2歳を過ぎてからだ。母子には愛着形成の壁がはだかっていた。

三女は発語に乏しく、おうむ返しが目立ち、自分で考えた言葉を発することができなかった。そのことに気づいた被告は発達障害が心配になった。保育園で相談すると「育ち方がゆっくりだけど絶対に(発達障害は)ない」と返され、被告は不安を抱え込んでいく。他方、乳児院にいた1歳9カ月で受けた発達検査の結果、三女の発達年齢が1歳2カ月、発達指数は74(70を下回ると知的障害)と行政から告げられていたことを検察官は明らかにした。

この数値が保育園に引き継がれたかどうかには検察官は触れていない。保育園が数値を把握していながら「発達障害がない」と言い切っていたとすれば被告の不安と孤独を増幅させたかもしれない。逆にもし保育園に引き継がれていなかったとすれば、児相の対応に瑕疵かしはなかったのだろうか。