徳のない日本の金持ち
しかもこの国には、社会的上位者が義務として弱者を救おうとするという、いわゆる「ノブレス・オブリージュ」の精神も根付いていません。
道徳教育の必要性が叫ばれていますが、そこで言われる道徳教育とは、往々にして一般社会人が守るべき人の道、つまり「道」の教育であって、「徳」の教育は欠けています。
「徳」とはすなわちノブレス・オブリージュのことであり、社会的上位者になったときにその有無が問われるものです。それを備えている人を「徳のある人」と呼ぶのです。
私がもし道徳の教科書をつくるとしたら、1ページ目にアメリカと日本それぞれの資産家の資産額と寄付額の一覧表を並べ、どちらの国の金持ちに「徳」があるかひと目でわかるようにします。
日本人はどれほど大金持ちになっても、自家用ジェットを買うといった贅沢をする人はほとんどいません。桁外れの金持ちでもあたりまえのように保険診療の病院にかかるのは、世界的に見ても日本ぐらいのものです。
日本の金持ちの多くが、この世でもっとも金のかかる趣味に熱中しています。彼らが持てるお金のすべてを注ぎ込もうとする、その趣味があると、たとえばどんなに金があっても、高いワインも買おうとしません。
その趣味とは「貯金」です。
この趣味を持つと、ありとあらゆることにケチになります。貯金通帳の桁を増やすためなら何でもします。必然的に、貧乏人に寄付をするどころか、貧乏人から搾取することに熱心になります。
欧米では対照的に、金持ちになるほど寄付を趣味にする人が多くなります。ビル・ゲイツやマーク・ザッカーバーグも、ほぼ全額に近い資産を寄付する意向を示しています。
富豪やそれを目指す人の多くが、貧しい人や立場の弱い人を救うこと、その喜ぶ顔を見ることこそが幸せという価値観を持っている。そういう国であれば、格差が拡大しても貧乏人は救済されますが、この国では金持ちによって搾取される一方です。
勉強こそ格差社会で逆転する唯一のチャンス
この国には、「頭のいい人間」が「頭の悪い人間」をだまして搾取するという構造があります。搾取される側にならないようにするには、勉強するしかありません。
このことは、すでに150年近くも前に福澤諭吉が指摘していることです。
『学問のすすめ』の「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」という一節があまりにも有名なため、福澤は平等思想の持ち主だと思われがちですが、彼がここで説いているのは平等とはまったく逆のことです。
天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず「と言えり」、つまり「そう言われている」。福澤は、この有名な一節のあと、次のように語っています。
「けれども、実際の世の中を見渡せば、愚かな人と賢い人、豊かな人と貧しい人がいる。厳然とした格差社会になっている。その差を分けるものは何かと言えば学問である。だから勉強しなさい」。そう言っているのです。
実は、この国において唯一のチャンスとも言えるポイントは、「金持ちの子どもが勉強しない」ことだと私は思っています。
アメリカのハーバード大学にも、イギリスのオックスフォード大学にも、フランスのグランゼコールにも、中国の清華大学にも、付属校はありません。どこの国でも、大学というものは原則として受験して入学するものです。
ところがこの国では、小学校からエスカレーターで大学まで進み、受験を経験していない人が、歴代で在任期間が最長の首相になりました。
世界の先進国の中で、その国の代表的な名門大学に小学校からエスカレーターで行ける国は日本だけです。そして、金持ちほど喜々としてそういう学校に子どもを入れています。