「源氏物語」が二次創作だという説

問題をもう少し深掘りしながら、物語がどうやって作られたのかに迫ってみましょう。

「源氏物語」の第二巻「帚木」には、大きな謎が秘められています。それが「光源氏 名のみことごとしう」から始まる一節です。これは読者が光源氏の存在を知っていることを前提として書かれたものであると言われています。つまり、光源氏についての物語は既に存在しており、紫式部はこの題材を使って二次創作をした可能性があるというのです。

この指摘を行ったのが、『古寺巡礼』や『風土』などの著作で知られる哲学者・和辻哲郎でした。和辻は「『源氏物語』について」のなかで、現行の「源氏物語」には、先立つ「原源氏物語」が存在したことに加え、「帚木」が起筆であることを主張しています。

「桐壺」は書き出しではないかもしれない

皆さんが古典の時間に習った「源氏物語」は、きっと「いづれの御時にか」の一節で有名な「桐壺」から始まったことでしょう。この「桐壺」が、後から書かれたというのですから驚きです。

『源氏物語 一帖 桐壺』、紙本墨画・彩色・金泥画、絹本表紙、日本製、17世紀中頃。全54帖の一部(写真=CC-PD-Mark/Wikimedia Commons

「源氏物語」は、現代の我々が読んでいる順番の通りに書かれたのではなく、後から挿入された部分や、完成後に順番が入れ替えられた部分があるのではないかという説があるのです。それゆえに、接続の悪い巻や、解釈の難しい「並びの巻」が生じたのではないかといいます。

実際に、公家の三条西家が伝える「源氏物語聞書」には、「桐壺」が後から挿入されたという「桐壺巻後記説」が記されています。江戸時代を代表する国学者・本居宣長も『源氏物語玉の小櫛』のなかで、やはり「桐壺」と続く「帚木」の接続の悪さを指摘しました。和辻以前の人々も、「源氏物語」が「桐壺」から書き始められたということに、疑問を抱いていたのです。

室町時代の注釈書『河海抄』には、石山寺に詣でた紫式部が湖水に映る月光にインスピレーションを受け、「須磨」を書き始めたという異説が記されています。ところが、五十四帖に及ぶ本作がどのような順番で書かれたのか、確かなことは分かっていないのです。