いつ誰が書いたのかわからない

平安時代の平仮名の使い方には一つの特徴があります。それは、平仮名の文書には、基本的に書いた年月日が記されない、ということです。書き手の名前が記されないことも普通です。

漢文で書かれた文書では、そういうことはありません。「有年申文」の年号が分かっているのは、この文書が、漢文で書かれた文書の添え書きのようになっていて、本体に当たる漢文の文書に年月日が書かれているからです。

漢文の文書が、いつ誰が書いたのかを明らかにして、後々の証文となるように配慮されているのに対して、平仮名で書かれたものは、そういった配慮の必要がないような、たとえば私的なやりとりなどに使われたのだと考えられます。

誕生したての平仮名は、そのように、後々まで証拠として取っておく必要のないところで使われていたと考えられます。ですので、現在まで伝わる資料は極めて稀なのです。

平仮名は「消費される文字」だった

2012年に、京都の藤原良相ふじわらのよしみ邸跡という遺跡(9世紀)から、宴会などに使われて廃棄されたと思われる土器に、墨で平仮名が書かれたものが数多く出土したことが明らかになりました。平仮名は初め、そういう「消費される文字」だったのです。

国立国語研究所・編『日本語の大疑問2』(幻冬舎新書)

まとめますと、平仮名を初めに作ったのは、個人ではなく、平安時代9世紀中頃の都にいた、おそらくは男性たちであったと思われます。

それも、漢字が書けないような人々ではなく、少なくともそれなりに漢字を使いこなせる人たちの間から、公式でない用途のために発生してきたのだと考えて良いでしょう。

実は、平仮名の誕生以前、万葉仮名の時代にも、誕生したての頃の平仮名と同じような用途の資料、たとえば私的な手紙(正倉院文書の中の万葉仮名文書)や土器の落書き(飛鳥京跡苑池遺構出土の刻書土器)がありました。そうしたものがやがて平仮名に変わっていったのだと思われます。

その時期がなぜ9世紀中頃だったのか、その正確な答えは今後の研究に求められていますが、木簡が文字を書くための媒体として多く使われていた時代から、なめらかな運筆に木よりも適する紙がもっと普通に使われるようになった時代へと移行したことが、関係しているかもしれません。

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