ひらがなはどのようにして誕生したのか。東京大学大学院の矢田勉教授は「初めに作ったのは、個人ではない。平安時代の都にいた、おそらくは男性たちが、公式でない用途のために使い始めた可能性が高い」という――。(第2回/全2回)

※本稿は、国立国語研究所・編『日本語の大疑問2』(幻冬舎新書)の第3章「文字にまつわるミステリー」の一部を再編集したものです。

神社のイメージ
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ひらがなを発明したのは空海ではない

平仮名は誰が作ったのですか
回答=矢田 勉

平仮名は、誰か一人が作ったというものではありません。江戸時代までは、空海が作ったと広く信じられていましたが、ありえないことです。

空海は、弘法大師とも呼ばれる平安時代初期(774年生〜835年没)の僧侶で、遣唐使を経て、真言宗の開祖となりました。

鎌倉時代以降に、まず、空海がいろは歌を作ったという俗説が生まれました。いろは歌が出来たのは空海の時代よりだいぶ後のこと(11世紀)ですから、それもありえないことですが、いろは歌は、その内容が仏教の重要な考え方である「無常観」を大変簡潔に表したものと読めるので、日本を代表する僧侶である空海が作者だと考えられるようになったのです。

【図表】諦忍『以呂波問弁』宝暦14(1764)年
出所=『日本語の大疑問2』より

このいろは歌は、平安時代末期以降(明治時代初めに至るまで)、子供がはじめて平仮名を習うときの手本として使われるようになりました。それでやがて、いろは歌だけでなく平仮名までも、空海が作った、と信じられるようになったのです。

その理由には、空海が中国人さえ舌を巻いた書の名人としても知られていることが関わっているに違いありません。

ちなみに、片仮名のほうは、やはり江戸時代まで、吉備真備きびのまきびという奈良時代の学者が作者と考えられていました。この人も、遣唐使として中国に渡り、その才智で中国人を驚かせたという様々な伝説を持っている人です。