「芦原さんの死の原因」は誰も断定できない
日本テレビ、小学館は、実態をしっかり調査した上で、説明責任を果たすことが求められる。しかし、両社がそれを果たしたところで、多くの人は納得してくれるだろうか?
的外れな批判合戦が起きている状況下では、「説明が不十分だ」「責任逃れをしている」という批判が際限なく続くに違いない。
「誰にも責任はない」「誰も責任を取る必要はない」と言っているわけではない。ただし、責任というものは、立場や犯した行為に応じて適切に負うべきものであり、限度を超えて過剰に負わせるべきものではないのだ。
「○○○が芦原さんを殺した」という断定は誰にもできないと思う。
どうしても1つだけ答えを入れなければならないのであれば、筆者は「○○○」の中には「SNSでの関係者への攻撃と、それに便乗したネットメディア」と入れる。彼らは、どのような責任を取ってくれるのだろうか?
本記事が様々な批判を浴びるであろうことは、想定もしているし、覚悟もしている。筆者は誰かを擁護しているわけでもなければ、何かに忖度しているわけでもない。
個人的な思いや、当事者でない第三者の意見をひとまず横において、当事者の声を拾い上げて、全ての人の言い分に矛盾が生じない事実は何なのか? それを考えて、上記のような結論に行き着いている。
当事者がすべて本当のことを語っているという保証はないが、そう仮定しても何ら矛盾は生じないので、いったんそれを受けれてみて良いだろう。
それでも日テレ、小学館が果たさなければならない課題
いずれにせよ、芦原さんの死によって、漫画の映像化における様々な問題が露呈したのは事実である。このたびの悲劇を受けて、日本テレビ、小学館は下記の対策を講じる必要はあるだろう。
2.取引ルールを整備すること
上記の2つはコインの裏表だ。今回の悲劇のきっかけを作ったのは、漫画家と脚本家という個人が矢面に立たされてしまったことによる。両者ともに作品の成立において重要な役割を果しておりながら、組織によって十分に守られていないのだ。
メディアとの仕事は、契約書を交わさずに口約束で進められることも多い。信頼関係によってそれが可能になっている点もあるが、問題が起きた時に犠牲になるのが、弱い個人である。取引ルールを整備して、しっかりと契約書を交わした上で、それに則って仕事を進めることが重要になると思う。
日本テレビと小学館には説明責任を果たすと同時に、率先してエンターテインメント業界のクリエイターの待遇改善策を講じて、世の中に示してほしいと思う。