「みなさんの街」ではなく「私たちの街」
例えば、「みなさんの街をもっとよくしましょう」、これは間違い。
自分も一緒によくしていくのだから、「みなさんの街」ではなく、「私たちの街」なんです。こんな言葉使いひとつで、聞く人の印象はだいぶ違ってきます。
街頭演説をするなら、自分の話をどんな人が聞いているのか、聴衆に目を向けて臨機応変に対応します。日中の駅前であれば、主婦の人がたくさんいるから子育ての話をするし、年齢層が高い市営住宅なら、高齢者向けの話をする。そういう意味では、同じ演説というものはありません。あらかじめ用意された原稿を読み、それを使いまわしているようではダメなのです。
かく言う私も、「今日の演説はイマイチやったなぁ」という日もあります。それは、うまく話せなかったというのではなく、伝えたいことと求められていることに微妙にズレがあって、100%の共感を得られなかったという失敗です。
赤ちゃんをおんぶした普通のお母さんが立候補していい
サイレント・マジョリティ(「静かな大衆」という意味。積極的な発言行為をしない一般大衆のこと)という言葉がありますが、市民が何を感じ、何を求めているかの正解を導き出すのは簡単なことではありません。
だからこそ、選挙でお金や人脈に頼るのではなく、言葉という強い武器を持って、市民と同じ目線に立つよう努力することが大切なのだと感じています。そういう意味で言えば、街のどこにでもいるようなお母さんが政治家として立候補するのも、一つの理想の形ではないでしょうか。
政治家と言うと、やたらピシッとしたスーツ姿のおっさんやおばちゃんばかりのイメージがあります。でも、赤ちゃんをおんぶした普通のお母さんが、選挙カーで演説したっていい。むしろ、一市民の代表として、リアリティのある政策を掲げてくれそうな気がします。
そしてそれは、決して不可能なことではありません。事実、2023年の明石市議会議員選挙では、絶賛子育て中のお父さんやお母さんが、市議会議員として立候補し、当選を果たしました。知名度のない、どこにでもいるような普通の市民が、多くの人々の共感を集めたのです。