しかし、自民党に総裁選がある限り、党内の権力闘争がある限り、派閥は決してなくならない。総理総裁になるためには、党内の仲間をライバルより多く集めなければならず、「お金と選挙と人事」の面倒をみることで子分を付き従わせる「派閥」が自然発生するからだ。

そもそも派閥は、法律に基づいて設置される政党と違って、個人が勝手に徒党を組む非公式集団である。強引に禁止することなどハナから無理だ。

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30年前にも掲げられた「派閥解消」は空文化した

自民党内で連鎖している「派閥解散」は、派閥解消を演出する「偽装解散」とみて間違いない。今年9月の総裁選に向けて「親分」のもとに「子分」たちが水面化でじわじわと再結集していくだろう。これら新しい派閥は当面「地下活動」に徹するが、解散総選挙が終わり、派閥批判が下火になると、再び表舞台に登場してくるに違いない。

自民党の歴史がそれを証明している。

戦後史に刻まれるリクルート事件で自民党批判が高まった1989年、自民党は政治改革大綱をまとめて「派閥の弊害除去と解消への決意」を打ち出した。閣僚や派閥によるパーティー自粛の徹底などを盛り込んだが、ほとんどが実現しなかった。

自民党が野党に転落している最中の94年には、当時の5派閥すべてが解消を発表して事務所を閉鎖し、新聞表記も宏池会は「旧宮沢派」、清和会は「旧三塚派」と改められた。けれども「勉強会」や「政策集団」と名乗りながら、派閥幹部の個人事務所などを拠点とし、「地下活動」を続けた。

そして自民党が与党に復帰した後、派閥は五月雨式に表舞台に復帰した。首相に直結する党総裁選は、誰が総理総裁になるかで所属議員の将来が決まる。激化する党内抗争によって「派閥解消」は完全に有名無実化していった。

岸田首相は「派閥からカネと人事を切り離す」とし、派閥による政治資金パーティーの開催と派閥による人事の推薦名簿提出を禁止する意向を表明したが、政治資金パーティーは派閥幹部が代わりに主催すればよく、人事の派閥推薦も口頭で伝えれば記録に残らない。

「派閥解消」は「派閥政治」の一断面である

1月26日から始まった通常国会では、岸田首相自身の「闇パーティー疑惑」が野党の追及を受けている。

これは、地元・広島の政財界が任意団体をつくって「首相就任を祝う会」を開催し、会費1千万円以上を集めたが、受付や経理は岸田事務所が担当し、会費の一部は首相が代表を務める政党支部に寄付されたという内容だ。野党は「実質的には岸田首相の政治資金パーティーなのに、収支報告書に記載されていない」と批判している。

この手法が認められるなら、派閥の政治資金パーティーを禁じても抜け道はいくらでもあることになる。自民党が打ち出した派閥解消策に実効性はほとんどなく、ほとぼりがさめたころに派閥が復活するのは間違いない。