首相は麻生氏との関係修復に動くが

麻生太郎副総裁、茂木敏充幹事長は寝耳に水だった。麻生氏はその夜、茂木氏からの電話で岸田派解散との報道を聞く。茂木氏からは「うちだけ置いて行かないでほしい」と泣きつかれたという。麻生氏は直後に岸田首相に電話し、「これは何なのだ。自分たちは自分たちで考える」と怒りをぶつけたという。

首相にすれば、反対されるから伝えなかったというより、派閥の元会計責任者の立件に動転し、能登半島地震への対応もあって、麻生氏に気を配る余裕がなかったのが実情だ。

首相は、麻生氏との関係修復に動く。21日夜、麻生氏をホテルオークラの日本料理店に招いて会談し、事前に連絡しなかったことを詫びた。麻生氏は自派の存続を伝え、「能登半島地震対策が含まれる予算の成立に向け、協力していこう」と述べ、矛を収めた。麻生氏は翌日、周辺に「もう怒らない。それが副総裁としてのたしなみだ」と呟く。

麻生氏の本意は、予算成立、4月の首相訪米までは首相を支えるが、その後は9月の総裁選対応を含めて距離を置くということだ。

麻生氏が28日、福岡県内で講演し、上川陽子外相について「そんなに美しい方とは言わない」と容姿に言及して物議を醸したが、「堂々と英語で話す」「新しいスター」などと持ち上げたのは、総裁選に向けて選択肢としてのカードを用意する狙いがある。

麻生太郎副総裁(画像=財務省/CC-BY-4.0/Wikimedia Commons

宏池会(岸田派)の解散は5回目

岸田派は1957年に池田勇人元首相が「宏池会」として創設し、大平正芳、鈴木善幸、宮沢喜一の各首相を輩出した名門だが、実は派閥が批判されると、解消しながら、政策集団、政策グループとして復活してきた。宏池会も63年、77年、80年、94年と4回解散し、今回5回目だ。94年11月には政治不信の高まりの中、河野洋平総裁が党改革の目玉として「派閥解消」を決め、各派も事務所を閉鎖したが、1年後の95年9月の総裁選での多数派工作が復活し、「政策集団」として再生している。

今回も9月の総裁選、年内にもある衆院選に備え、「派閥」もどきが復活する可能性がある。首相は18日、岸田派幹部の1人が「1回解散すればいい。そしてまた集まればいい」と言うと、「そうだな。解散するけれど、ご縁を大事にしよう。派閥として集まらなければいいのだから」と応じている。