社会人3年目の休職と母親とのバトル

社会人3年目。猫田さんは職場の人間関係に悩み始めたことがきっかけで体調を崩し、心療内科を受診した。医師は、「産まれてから現在までのこと、おおよそでいいので話してもらえますか」と言う。

猫田さんは幼少期のことや母親のことなどを話し、実は中学生くらいの頃からそううつのような症状があることを伝える。

すると医師は、「あなたが精神的に不安定になりやすかったり、そううつのような症状が出たりするのは、幼少期の生育環境やストレスが関係していると思います」と言った。

医師は、「適応障害」の診断書を書き、猫田さんは、3カ月間の休職と異動が決まる。3カ月後、職場に復帰してしばらくすると、祖母から曾祖母が亡くなったという知らせを受ける。

夫とともに葬儀に参列した猫田さんは、会場で母親と顔を合わせた。

「はじめまして。何もしていない母親です」

母親はそう言って猫田さんの夫に挨拶。猫田さんから話を聞いていた夫は、一瞬絶句した後、挨拶を返した。葬儀が終わり、会食が始まると、母親は親戚たちに、「今度私の夫をみんなに紹介するわね」と求められてもいないのに夫の話をし始める。

「おそらく私が夫を連れてきたので、対抗したのだと思われます。母は昔から誰に対しても負けず嫌いでした……」

毒母の多くは娘に対抗心を燃やす。猫田さんの母親も例外ではなかった。

祖母のがんと母親との復縁

復職から1年半後、激務に耐えられなくなった猫田さんは27歳で退職し、アルバイトを始めた。

73歳になっていた祖母は、猫田さんが社会人になった年に初期の大腸がんが見つかり、すぐに手術したため完治していた。しかしその後の定期検診の胸部CTで、肺にがんらしき影が見つかり、再検査となる。

それを聞いた猫田さんは、食べ物も喉を通らないほどに心配し、体重が落ちていく。そんな中、祖母は言った。

「まだ確定じゃないけど、お祖母ちゃん、近いうちに死んじゃうかもしれない。もしお祖母ちゃんが死んじゃったら、難しいかもしれないけど、ママのことを許してあげて……」

大切な祖母の頼みを無下にできなかった猫田さんは、母親(当時50歳)との関係を修復できるかどうか判断するために、2年ぶりに電話してみることにした。

電話に出た母親は、再検査になった祖母のことを多少は心配している様子。そして本題を切り出す。

「お祖母ちゃんからあなたとの関係を修復してほしいと言われたので、今日はそれができるか判断するために電話しました。質問をするので答えてください」

猫田さんが長年聞きかったことを全部伝えた。質問と母親からの答えは以下のようなものだった。

・なぜ育児放棄したのか?
回答:若気の至り。(育児放棄の自分を見て)祖父母が出て行けと怒ったから仕方なく出て行った

・2回目の離婚をした後、祖母に「みんなで私を育てよう」と提案されたのになぜ出ていったのか?
回答:祖母と性格が合わないので、一緒に暮らしたくないし、育児もしたくなかった

・今まで好きなことだけして生きてきて楽しかったか?
回答:楽しかったが奈理子に悪いことをしたとは思っている。反省しているのでこれからは仲良くしたい

・奈理子に悪いことをしたと気付いたのはいつか?
回答:水商売を辞めてIT系の会社で派遣として働き始めた30代前半の頃。同年代の同僚が働きながら一生懸命子育てをしているのを知り、自分がしたことの重大さに初めて気付いた

ここまで聞いた猫田さんは、「この人と復縁することは無理だ」と思った。

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「50代になり、多少はまともになった気がしましたが、自分の非を認めないところや言い訳ばかりするところは変わっていません。でも母は、私に許してもらって仲良くしたい様子だったので、祖母のためにもいったんは表面上だけ仲良くするフリをし、いつか復讐のために、今度は私のほうから母を捨ててやろうと思いました」

猫田さんが「復縁できるか検討します」と言って電話を切り上げようとすると、母親は、「今日の電話で納得できなかったら、納得できるまで何度でも電話してきていいからね。私はいくら責められても構わないし、いくらでも話を聞くよ」と言った。