「あそこの草を食ってみろ」

グルメという言葉が嫌いで、「高級食材を扱えばいいというものではない。その土地でしか手に入らない旬の素材を工夫して美味しく料理する。それがエピキュリアン料理である」と食に関しても独自の考え方を持っていた。エピキュリアン料理の本まで書いている。

八重山諸島の小浜島に作った「はいむるぶし」という高級リゾート(現在は三井不動産グループが経営)では、「あの魚は食ったか」「あそこの草を食ってみろ」と現地のマネージャーを実験台に使ってホテルで出すエピキュリアン料理を開発させた。

その頃には川上さんと随分仲良くなっていたから、小浜島にも何回も一緒に遊びに行った。川上さんがお出ましになると怒鳴られてばかりということで、「大前さん、おやじを連れてこないでよ」と現地のスタッフから泣きつかれたこともある。

1990年頃にハワイ島のマウナケアで開かれたマッキンゼーパートナーの世界大会に川上さんを招待したこともあった。当時はジャパニーズマネジメント全盛の時代だから、ヤマハの創業者にして会長のスピーチで大会を彩っていただこうと思ったのだ。

川上さんは機嫌良く家族と一緒にハワイにやってきた。ところが、いざスピーチが始まると中国批判に始まって、「その中国の天安門広場に目立つネオン広告を入れた日本のメーカーがいる。金で名前を売り込もうなんて、けしからん!」と怒り始めたのだ。

何を言い出すかわからないからプロの通訳を使わずに私が通訳をしていたのだが、もうどうにも収まらない。仕方がないから、バックアップ用に用意していたJOC(ジュニア・オリジナル・コンサート)他、ヤマハの活動を紹介する映像に切り替えてごまかした。

本当に川上源一さんくらい苦労させてもらった経営者はいない。

私が関わったプロジェクトチームのメンバーがイギリスから帰国して、「会長、ご報告があります。あまりいい報告ではありません」と言ったら、「聞きたくない。いい報告じゃないものを何でおれにするんだ!」

「それでも言っておかなければなりません」と返すと「お前の顔なんか見たくない!」

仕方ないから帰ろうとすると「待て!どこへ行く。俺に報告があるんだろう。報告しろ」

「顔を見たくないと言われました」

「後ろを向いて報告しろ!」

 こんな経営者は見たことがない。しかし、ずば抜けた構想力と戦略眼、パワフルな行動力には感服しきりだった。

川上さんの最後の夢はバイクのような一人乗りの飛行機である。「道路や線路に縛られずに行きたいところに行きたい」と移動する手段を考えて、いくつか試作品まで作っていた。ホンダがいま自家用ジェットを開発しているが、恐らく同世代の好ライバルであった本田宗一郎さんも同じような夢を描いていたに違いない。

誰にも追随しないし、誰も追随できない。巨大な経営者だったと思う。

次回は《大前版「名経営者秘録」(6)——盛田昭夫さんの「ねぇねぇ! 感じた?」》。11月19日更新予定。

(小川 剛=インタビュー・構成)