誰が何と言おうと、女性も働かなければ
結婚して、娘が二人生まれても、高橋さんは子育てをしながらさまざまな営業職に就き、トップセールスを記録した。当時、専業主婦が圧倒的に多かった時代だ。
「当時は、女の人は家にいるものだと思っている人が多かった。女が働いても、大したことができないとされていた。でも私は母の姿を見ていますから、サラリーマンに嫁いで、もし夫に何かがあったら、女性も生きていく力をつけておかないと、一緒に死ぬようなことになってしまう、それではいけないと思ったんです。だから、誰が何と言おうと、女性も力をつけて働かなきゃいけないという思いが、私は人よりも強かったんですね」
しかし、幼い子どもを抱えて女性が働くのは、今でも多くの困難がある。だいぶ、解消されたとはいえ、保育園の待機児童問題に女性たちは悩まされてきた。
「みんな、子どもがいるからできない、子どもを預かってもらえないからできないって、仕事ができない理由ばっかり並べ立てる。私はできない理由よりも、できる理由を考えなさいと言うわけ。そうすると、いろいろなアイデアが浮かんでくる。子どもが保育園に入れないなら、子どもが好きで、子どもの面倒をみたいという人に預ければ、安心でしょ。これで、どちらも良いわけですから」
子どもたちを引き取るために起業を決意
娘が高校生になった頃、40歳の時に、高橋さんは離婚する。
「家の中に、男が二人いるような感じになっちゃったんでしょうね。やっぱり、相性もあるでしょう。できれば、別れないほうがいいと思うんですよ。でも、時と場合によっては、しょうがないこともある」
子どもを育てるためには、稼がなければいけない。高橋さんは42歳の時、娘と二人でPR会社の起業を決意する。
「子どもたちを引き取りたくて、少しでも高い収入を得られるようにと選んだのが起業でした」また、一からのスタートだ。
「小さなワンルームで仕事を始めた時、上の部屋が空いたからそこも借りて、名刺に部屋番号ではなく、『6F・7F』にしたの。そうすると、2フロアがあるように見えるでしょ。名刺を見せると、『すごいですね』って言われて。実際は一間で、自分の部屋だったりするんだけれど、そうやって嘘でない嘘をやりながら楽しんで。そういうふうに考えていったら、何をやってもできる」
当初は苦労もあったはずだが、高橋さんは吹っ切った笑顔で流暢に語る。
「コネがなくても行動力、常識がなくても知恵があって、身長がなくても体重がある。まあ、健康であれば、できるということです」