母は26歳の時に3児を育てるシングルマザーとなった

それにしても、取材で味噌汁を振る舞われたのは初めての経験だった。大根、牛蒡、人参、里芋、カボチャまで入った具沢山の味噌汁は、相手を思う愛情そのもの。麦味噌の甘みがほっこり、やさしく染み渡る。

取材時にご馳走になったお味噌汁
取材時にご馳走になったお味噌汁(撮影=伊藤菜々子)

「これはもう、何年も前からずっと。時間があると作っておくの。あるといいでしょ。宅配便屋さんがくると必ず、お茶とお菓子をあげるの。みんな、喜んでくれる。楽しいこと、うれしくなることをしてあげると、相手は喜ぶ。ここは、そういう場所でもあるの。だって私は、人生のフルコースを生きてきたから、今度は与えることをしていきたい」

人生のフルコース……、何と斬新な響きだろう。結婚、出産、子育て、離婚、会社経営、孫育て、再婚、死別、これが、高橋さん自身が味わってきた、「人生のフルコース」だ。

高橋恵さんは1942年、戦時下真っ只中に、三姉妹の次女として生まれた。3歳の時に父親が戦死し、戦後の混乱期に、母親は26歳でシングルマザーとなった。貧困に喘ぐ生活の中で、3人を育てることが難しく、高橋さんは遠い親戚に預けられ、理不尽な日々を送ることとなる。このつらい日々を支えたのが、母親が何度も語ってくれた一つの言葉だ。

つらい日々を支えた言葉

「天知る 地知る 我知る」

「後漢書」楊震伝に、「天知る、神知る、我知る、子知る」という言葉がある。他人は知るまいと思っても、悪事はいつか必ず発覚するということ。

高橋さんの母は誰も知るまいと思っても、隠し事は天の神様が知っている、地の神様も知っている、そして自分が一番よく知っているという話を何度もした。高橋さんは続ける。

「同時に誰も見ていないと思える良い行いも誰かが見ている。良い行いは宇宙銀行に貯金されている、私はそう思うことにしているんです」

ここに、おせっかい協会を立ち上げた原点がある。