用水路に突き落とされ、1人で泣いていた小学生時代

Iさんは、小学校の就学時健診で、区の教育センターでの相談を指示されて、面接に行ったことを覚えています。小学校については、嫌な記憶しか思い出せません。消極的でおとなしかったため、いつもいじめに遭っていました。友だちからぶたれたり、用水路に突き落とされたり、集めていた切符を脅し取られたこともありました。

いじめられた後は誰にも相談できずに、常に1人で泣いていました。教科では、音楽や体育が苦手でした。

3年生でクラス替えがあり、それまでのいじめの加害者とは別のクラスになり、ほっとしましたが、消極的な性格に変化はなく、なかなか友だちができませんでした。

けれども4年生になる頃には、多少の交流はできるようになりました。

この当時、お母さんが内職をやめてパートに出るようになったため、1人で家にいる時間が増えました。家では、電車の時刻表を読みあさって過ごしました。休みのときには、1人で遠方まで電車に乗って出かけることもあり、「ただ電車に乗っているのが好きだった」と本人は話してくれました。電車のシートに足を乗せていたら、家出人と間違えられたこともあったそうです。フリー切符を使って途中下車を繰り返し、入場券を集めたこともありました。

校舎の窓からバスをながめて休み時間をやり過ごす

高学年になると、電車は相変わらず好きでしたが、よく図書館に行くようになりました。大人の閲覧室から本を借りて読むことが多かったので、職員から子ども室の本を読むように注意されたこともありました。

中学生になっても、1人でいることが多かったそうです。小学校のときと同様に、周囲の生徒からいじめられることが多く、同級生からぶたれたり、女子生徒からもよくからかわれました。

写真=iStock.com/Milatas
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中学2年生のときが、もっともいじめがひどかったそうです。教科書を隠されて小突かれたり、ズボンの上から性器を強く握られたり、賞味期限切れの牛乳を無理矢理飲まされたり……。休み時間はいつも1人で、校舎のすみでバスが通り過ぎるのを見て過ごしたことを記憶しています。このようにASDの当事者は、小児期に周囲の理解やサポートが得られずに、いじめの対象となることが珍しくないのです。