夫が式部の両親に大盤振る舞いした理由

彼は式部と結婚したとき、わが家を舅の大江雅致に提供している。先に言ったように、男が女の所へ通って来てそこへ住みつくのがあたりまえのことだった当時としては、これは破格のサービスである。

道貞がかかるサービスをやってのけたのは、式部の魅力のとりこになったからかというと、そうではない。実は舅にとりいって、昌子内親王のサロンにくいこみ、一段の出世をしようというコンタンだったのだ。

国の守というのは、なかなかみいりのいい役どころだが、これはあくまでも地方官である。中央でいい役につかなければ、最終的な出世は望めない。だから何かの手づるをつかもうと、このクラスの人間は必死になる。そうした男にとって、皇后サマのサロンなどは絶好である。ここで忠勤を励めば、やがて皇后サマのお声がかりで、いい地位にありつけようというものである。

結婚は破綻し、夫は別の女と地方へ

もっとも、冷泉上皇は、生まれつき脳に障害があったと伝えられ、その皇后である昌子のサロンは、それほど時めいていたわけでもなかったが、しかし、利用価値は皆無ではない。この道貞の狙いはどうやらまちがってはいなかったらしい。というのは、昌子内親王が病気になると、この家は雅致の家という名目で、その静養所に利用され、それと前後して、道貞も舅の下役としてとりたてられたからである。まさしく事は思いどおりに運んだのだ。

ところが、まもなく思わぬつまずきがおこった。昌子内親王がなくなってしまったのだ。サロンは自然解消、とたんに道貞は冷たくなり、一家に出てゆけよがしをしたらしい。家つきカーつき(おそらく馬もたくさんあったろうから)の結婚は、ここで破れるが、はでなけんかもした。

「いいわよ、絶対にあなたのことなんか思い出さないから!」

という彼女の猛烈な歌も残っている。道貞は別の女をつれて、さっさと任地の和泉に下ってしまったらしい。

もっとも、そのころ式部には、すでに親しい恋人もいたのだという説もある。冷泉上皇の皇子で、美貌をうたわれた、当代きってのプレイボーイ、為尊親王がそのひとだ。為尊は昌子の子ではないが、ときおりおそらくごきげん伺いに来ることもあったようだから、そこで彼女を見初みそめたのではないだろうか。