まるで現代人が書いたかのような『自省録』
古代ギリシアや古代中国などの古典をいま読んでみても、2000年以上前のことであるにもかかわらず、私たち人間の考えることは、驚くほど変わっていないことがわかります。自分の人生、倫理や道徳、家族や対人関係、組織や社会の問題、お金の問題……と、人間が悩み苦しんでいることは、じつはいつの時代でもほとんど変わりません。
たとえば、「哲人皇帝」と呼ばれ、ストア派の哲学者でもあった第16代ローマ皇帝マルクス・アウレリウスの『自省録』には、次のような一節があります。
各人は束の間のこの今だけを生きている。それ以外はすでに生き終えてしまったか、不確かなものだ。人格の完全とは毎日を最後の日のように過ごし、激することなく、無気力にもならず、偽善をしないこと。お前が怒りを爆発させたとしても、それでも彼らは同じことをするだろう。もはや善い人とはいかなるものかを論議するのはきっぱりやめ、実際にそのような人間であること。(岸見一郎『NHK「100分de名著」ブックス マルクス・アウレリウス自省録――他者との共生はいかに可能か』NHK出版)
『自省録』はマルクス・アウレリウスの日記であり、他人に読ませるために書かれたものではないため、わかりにくい部分や整合性がとれていない部分もたくさんあります。
しかしながら、自身の思索や内省を綴ったこの日記を読むと、まるで現代人が書いたのではないかと思うほど、いまを生きる私たちの悩みや苦しみに通じる部分が多いことに驚かされます。原著以外にも、哲学者の岸見一郎による解説がついた『NHK「100分de名著」ブックス マルクス・アウレリウス 自省録――他者との共生はいかに可能か』などのテキストがありますから、ぜひ一度、手に取ってみてください。
「困難に直面したとき、人はどう生きるべきか?」
そうした根源的な問いに対して、まさしく時空を超えて、考えるヒントを与えてくれる、私の愛読書のひとつです。
人間の悩みには一定のパターンがある
こうした何百年、何千年もの時空を超えて生き続けている本を読むと、人間にとっての悩みや苦しみにも、一定のパターンがあることがわかります。そして、それにどう応えるかについても同様です。
もちろん、私は、そこに書かれている幾多の知恵を、単純になぞるべきだといっているわけではありません。いまここに生きている自分という存在が、運命によって突きつけられた命題に対して、実際にどのように対峙していくのか、そのことを、人類が蓄積してきた本というものを通じて学び、「自分ならどうするか?」を考え抜くこと……それこそが読書の意味なのだと思うのです。
他人の言うことを鵜呑みにしろというのではなく、一人で悩んでいるのでもなく、人類が積み重ねてきた「集合知」をうまく使ったらどうですか、ということです。