何を読むべきかは自分自身に聞くしかない

さて、冒頭の「どんな本を読めばよいですか?」という質問に戻りましょう。

こうした質問はどこから来るのでしょうか?

つまるところ、それは、

「あなたはこれがきっと好きなはずですよ」
「これがあなたにぴったりのものですよ」
「これを選ばないあなたは損をしていますよ」
「あなたが何を好きなのか私が教えてあげましょう」
「私の言うとおりにしていれば大丈夫ですよ」

という、人々の不安と欲望を駆り立てる、現代資本主義社会が持つ病理が根底にあるからなのではないでしょうか。

「どんな本を読めばよいですか?」という質問に対して、私は「それは自分自身に聞くしかない」と答えましたが、本当はみなさん、もっと自分の「内なる声」に忠実に生きればよいだけのことなのです。

しかし、人々の欲望を駆り立てる、あるいは不安を煽る現代資本主義社会というシステムがそれを強力に阻んでいて、いまの世の中を生きる多くの人が、他人がよいと思うものを探し求めて右顧左眄うこさべんしているうちに、いつの間にか自分が何を求めているのか、そして自分が誰なのかさえわからなくなってしまう……。

そのような、私たちの自己感覚を失わせてしまう現代資本主義社会の病理に、私は大きな危機感を抱いています。

そして、そうした「自分が誰なのかがわからず、ふわふわと漂っているような状態」から抜け出すためのひとつの手段として、読書があるのだと考えています。それはいわば、自分が「正気であるため」の手段、つまり「自分が自分であるため」の命綱と言ってもよいでしょう。

写真=iStock.com/takasuu
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子どもにはどんな本を読ませたらよいか

ちなみに、『読書大全』という本を出版して以来、親御さんから「子どもに本を読ませるにはどうしたらよいでしょうか?」「子どもにどのような本を読ませたらよいですか?」といった質問を受けることも多くなりました。

でも、「どのような本を読ませたらよいか?」の前にまず、「子どもとは何か?」についてお話ししたいと思います。

子どもは「小さな大人」という不完全な大人ではなく、子どもは子どもであるとして、「子どもの発見」をしたのが、『社会契約論』(岩波文庫)で有名なジャン=ジャック・ルソーです。

ルソーは、『エミール』(岩波文庫)という教育論の本の中で、子どもの自発性と内発性を尊重する教育論を展開しています。

私の教育論の立場は、このルソーの考え方に近く、人には本来的に自らを発達させる能力があるという前提のもとで、子どもの能力を引き出す環境を整えてあげることが教育の役割だと考えています。ちなみにルソーは、子どもが小さいうちは本による教育よりも自然と接することのほうが重要だということを言っています。