異常値には薬を使えという信仰
とにかく、大学病院では人の人生という唯一無二の大切なものをないがしろにしたまま、自分が専門としている臓器を正常値に戻すことだけを目指すという本末転倒な治療がまかり通っている。残念ながらこのことは否めないのです。
大学病院は最先端の研究などを踏まえた高度医療の提供に努めています。
いっぽうで、研究業績を残さないと出世できないのですが、その研究の費用を提供しているのが、製薬会社です。
医局は製薬会社の意向に沿って薬を増やしたり、売れる薬の研究(といっても開発ではなく、患者さんに効くかどうかを試すだけですが)をしている。大学病院と製薬会社は密接な関係にあるのです。
よって大学病院ではたくさん薬を使うことはしても、薬を減らすための研究はしていません。
アメリカでは医療費を払う保険会社が薬を減らす研究の資金を出しているのですが、日本ではそういう資金を出すところがないからです。
しかも厚労省は大学病院と製薬会社の味方です。大学病院の幹部が決めた標準値を目安に、標準値を超えた人に対してバンバン薬を投与する図式は、こういうメカニズムでつくられているのでしょう。
検査の数値を標準値にもっていかないといけないというイデオロギーに染まっている医者がいる限り、そして治療を受ける側の人々が考えもなく医者に依存している限り、異常値には薬を使えという信仰が蔓延し続け、結果、薬漬け人間が増え続けることになるのです。
薬のとりすぎが寝たきり老人をつくる
薬については本当に深く考えなければ、この国が寝たきり大国から脱することはできないでしょう。
薬の量を減らしたことで、寝たきりだったお年寄りが歩行することができるようになったという医療現場からの報告もあります。
1990年代に、「老人病院」といわれる長期入院型病院(現在では療養型病床といわれますが、原則廃止の方向になっています)では、どれほど入院患者に投薬したとしても、病院には一定額しか支払われないという入院治療代の定額制が導入されました。
これまでは出来高払いといって薬や点滴をするほど病院の収入が増えたのですが、それ以降は、老人病院側としては、できるだけ薬や点滴を減らしたほうが利益が上がるシステムになったので多くの病院で、大幅に薬が減らされました。
その結果、薬の使用料を3分の1まで減らした有名な老人病院の院長は、講演会で「寝たきりだったお年寄りが歩行するまで回復したという例が少なからずあった」と語っています。
薬のとりすぎがどれほどまでに高齢者の身体を蝕んでいたか、という証言だったわけですが、それではなぜ通常量とされる薬の投与が高齢者にとって大きなダメージになってしまうのかといえば、老化にともない、臓器の働きが衰えているからです。