これまでで最も強いチームは

2000年前後のチーム年間予算規模を比較すると、フェラーリ(約340億円)、マクラーレン(約329億円)、BAR(約233億)、そこにウィリアムズ、ベネトン、ジャガー、と続く。上位のチームと末席のトヨタ(約56億円)では6倍近い予算差がついていた。この予算は年々上昇していく。

分配ルールの不透明さに加え、2名の限られたレーサーからチームのエンジニアまで引き抜き合戦は毎年行われ、よほど盤石な企業基盤がなくては続けられない。

優勝を本気で狙ったトヨタ(2002~09年)は、500億円もの予算を投じるようになるが、一度も優勝できなかった壮絶な挫折体験も持つ。ホンダも1964~68年、83~92年、2000~08年、15~21年と過去4度参入と撤退を繰り返している。(現在エンジンはレッドブルに提供。2026年からの再参入が予定)

半世紀ずっと出続けているのはフェラーリくらいで、過去累計16回優勝と断トツの成績だ。2位のウィリアムズは優勝9回だが近年は常勝チームからは外れてきている。近年目立って成績を上げてきているのは、底なしの資金を持つと言われるレッドブルだ。2004年にフォードからチームを買って参入した。

写真=iStock.com/assalve
※写真はイメージです

かくも不平等なスポーツだが、エクレストンがいなければ、今のような近代的なF1は存在しなかった。
けれども同時に、エクレストンは巨額の放映権料をF1にもたらし、スポンサーをかき集め、F1の魅力を世界中に喧伝した。欧州の一部でのみ人気だったF1を、近代スポーツの世界へと送り込んだといえる。F1がこの変化を遂げていなければ、何百万人もの人々が永遠にモータースポーツに触れることがなかっただろう。

日本でF1ブームが起きたワケ

日本にF1が到来したのは1987年、中嶋悟が日本人初のF1シーズンフル参戦したことがきっかけだ。フジテレビが放映権を獲得。1991年の日本GPは日曜20時というゴールデンタイムで視聴率20%超え、東芝・三洋などグローバル化を見据えたF1協賛企業のロゴが躍り、バブルを反映した時代だった。

この時期世界中でF1人気が沸騰する。それまでメカニックや技術の戦いだったところに「人間ドラマ」が加わったからだ。歴代年間優勝回数4回のプロスト(現役1980~93)と3回のアイルトン・セナ(現役1984~94)が競っていたことが想定外の化学反応を起こす。

この時代は2人の天才が同時に存在し、しかもマクラーレンという同じチーム内で競い合ったことで日本だけでなく世界中で一気にF1に注目が集まった。

だが、1994年に、サンマリノGPでセナが事故死する。このほか10件もの重大事故が立て続けに起きる。この「呪われた94年」から片山右京が引退した97年にかけて、日本のF1人気は収束した。(ちなみに死亡事故の印象が強いF1だが、この1994年以来は2014年の1件を除いて死亡事故は起こっていない)。

2012年にはフジテレビも地上波放送を終了し、CS放送化で一部コアファンのみのマネタイズポイントと化し、テレビはユーザーを増やす手段ではなくなってしまった。