パンダ外交の始まりは日中戦争

中国の「パンダ外交」は日中戦争期、中国国民党指導者、蒋介石の妻、宋美齢が米国に2頭を贈ったのが始まり。対米宣伝工作を担当する宋美齢は、パンダ贈呈で中国のイメージアップを図り、米国を味方につけるのが目的だった。自然保護の英専門家ポール・ジェプソン博士らがパンダ贈呈について分析した結果、08年の四川省大地震後までで3期に分類できた。

(1)1937~83年、日中戦争と冷戦
蒋介石時代に続いて中国共産党の毛沢東時代も戦略的な関係を強化するため57年、ソ連にパンダを贈呈。北朝鮮にも贈られている。リチャード・ニクソン米大統領(当時)の電撃訪中に合わせて72年、シンシンとリンリンがスミソニアン国立動物園に贈呈された。日本でもカンカン、ランランが空前のパンダブームを巻き起こす。

(2)84~2007年、鄧小平の開放政策
1984年、絶滅の恐れのある野生動植物の種の国際取引に関する条約(ワシントン条約)でパンダは附属書1(今すでに絶滅する危険性がある生き物)に格上げされ、基本的に商業目的の取引は禁止される。パンダの貸与を開始。鄧小平が開放政策を進めたため、パンダ外交も地政学重視から市場としての重要性に軸足を移す。

(3)2008年~四川大地震後
四川大地震でパンダの生息地の5.9%が破壊され、67%が影響を受けたため、パンダ外交の対象も絞られる。

ジェプソン博士によると、パンダ外交の第3期は自由貿易協定(FTA)で合意しているか、価値ある資源や技術を中国に提供している国に限定されている。大切なポイントは現在、何頭いるかではなく、パンダがどれだけ中国からやって来たり、帰国したりしているかだという。

ジェプソン博士は中国語で互いに利益を享受できる関係を意味する「グァンシー」に注目する。10年には米国生まれのパンダ2頭が送還されたが、その直前、バラク・オバマ米大統領(当時)はチベット仏教最高指導者ダライ・ラマ14世と会談すれば対中関係を損なうと警告されていた。

パンダが中国に送還されたり、待てど暮らせどやって来なかったりする背景にはグァンシーの問題もあるようだ。しかし米中対立が深まる中でパンダ外交も新たな第4期に入ったのかもしれない。

当記事は「ニューズウィーク日本版」(CCCメディアハウス)からの転載記事です。元記事はこちら
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