石橋さんは、そのときのことを振り返る。「なぜ、自分が辞めるのかという理由にはなっていない。およそ、ロジカルとは言い難い。私には、会社に貢献してきたという自負があった」。

だが、激しく言い争うことはしなかった。会社に不当だとして異議を申し立てることも考えなかった。人事の仕事にも関わった経験があるだけに、冷静に分析する。

「ひとりのディレクターの考えというよりも、会社としての判断だったのだろう。このような状況で私がファイティングポーズをとり、争おうとすると、解決するまでに時間がかかる。それが噂となり、業界に流れる。自分にはメリットがない、と考えた」

理不尽なものを感じたが、辞表を書いた。上司は、辞表を出すことを求めていた。会社としては解雇を避けて、自らの意思で辞めたという事実をつくりたかったのだろう、ととらえる。退職の条件は月収の3カ月分相当で、300万円ほど。

外資系企業というと、日本ではとかく「実力主義」といわれる。しかし、上司の部下に対しての人事権が極端に強く、そこにはおよそ公平と思える評価制度がないこともしばしば見られる。さらに、異議を申し立てる場も与えられない。つまりは、職位が上の者にとって都合のいい「実力主義」ともいえる。

石橋さんは40代になったころに、いつか外資系企業の日本法人のトップになると目標を立てて、着実に力を養ってきた。その後は思いが叶い、支社長などを務め、マネジメント力も兼ね備えた。英語も、外国人と会話をすることに不自由しない。

しかし、これだけのキャリアがありながらも深刻な不況の下、職を得ることができない。会社を離れた後、1年数カ月間で30社近くにエントリーをした。いずれも内定にはいたっていない。今後もめどは立っていない。それでも、石橋さんは冷静である。

「雇う側からすると、57歳という年齢がネックになっているのだと思う。自分の経験が生きるのは外資系企業のカントリーマネジャーなど。そのポジションを得るのは、いまは40代後半までの人が多い。しかも、年々若くなっている」

退職後は毎月20万円前後の、雇用保険の失業給付を受けていたが、それも、昨年の8月に終わった。夫婦2人で月の平均生活費は多いときで30万円ほど。足りない分などは、これまでの貯蓄から切り崩している。都内にある、5500万円ほどの新築マンションのローンの支払いなどが毎月7万円ほどあるが、それらを含めてお金のやりくりはすべて妻にまかせてある。

(的野弘路=撮影)
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