最後は「涙の別れ」全社員共通の原点

竹中工務店→1年間寮生活での「朋輩」づきあい

“社会人としての原点”。竹中工務店・能力開発部の坪井昌行さんは、新卒採用者全員が1年間の共同生活を送る「深江竹友寮」をそう評した。

「創業の精神、物づくりの精神を文言で理解するだけではなく、『肚に落とす』期間といえばいいでしょうか。寮を維持する経費や手間がかかるんじゃないかという人もいますが、我々は当然あるべき“原点”と捉えているんです」

そう説明する坪井さんも26年前、この寮で暮らしたひとりだ。

2010年4月、竹中工務店に入社した藤晴香さん。大学院では建築設計を専攻していた。

神戸市東灘区に深江竹友寮が建ったのは1961年。2010年は、133名が入寮した。ふたり1部屋。ベッドが2台設置された6畳ほどのスペースで寝起きをともにする。まさに朋輩づきあい。毎年夏には地域の人を招待して屋台や催し物を出す寮祭が開かれる。寮祭の企画運営も、日常生活のルールづくりも寮生の自治に任される。

2010年春、入寮した藤晴香さんは集団生活に不安を感じていた。

「インターネットや携帯電話で常に繋がってはいますが、個々の時間を大切にするのが私たち世代だと思っていました。私自身もそうだったから心配だなと」

藤さんの採用職種は設計だが、いまは見積部で研修中だ。寮生たちは、大阪本店に配属されると4カ月ごとのローテーションで3つの部署で研修を受ける。竹中工務店は神社仏閣の造営からはじまった企業だ。たとえ採用職種が事務や技術開発でも物づくりの現場である作業所の研修は必ず経験する。

藤さんと同室の同期は、現在、作業所で研修を受けている。寮に戻るとその日の仕事の内容を互いに話しあう。藤さんはいう。

「みんなの話を聞いていると私自身の体験が2倍、3倍になっていく気がするんです。私が研修中の仕事も他の部署の事業も繋がっているんだと。いまは学生から社会人への過程をゆっくり育ててもらっているなと実感しています」

竹中工務店 人事室 能力開発部長の坪井昌行さん。

新人時代は成長実感や存在を認められた体験が、仕事に向かうモチベーションを生むという。近年の新入社員はその傾向がより顕著だと坪井さんは感じている。

「それぞれの部署では、指導担当者がマンツーマンで指導してくれる。寮に帰れば、3人の寮長が生活をサポートしてくれる。私の記憶を振り返ってみても、会社ぐるみで関わってもらえた。自分がこの会社に大切にしてもらえたという感覚を持てた気がしましたね」

職場の上司もかつては寮生活を送っている。共通の体験が一体感を生み、愛社精神を育む。朋輩づきあいが後の仕事に活きてくると坪井さんは続ける。

「現場で設計者も施工事務担当者も営業担当者も同期という場合があるんですよ。気心が知れているというのは、物づくりの現場では大きな力になりますね」

共同生活で培ったチームワークが思わぬ瞬間に発揮された。

竹友寮は2人1室。喫煙場所など寮内のルールは新入社員らの自治に任されている。

1995年1月17日。阪神・淡路大震災。深江竹友寮が立つ東灘区はもっとも被害が大きかった地域だ。被災直後の寮生たちの動きを『ケーススタディ大震災の企業防衛』(朝日新聞大阪本社経済部編 朝日新聞社)はこう伝えている。

〈寮の裏手で火の手が上がり、悲鳴があちこちから聞こえた。(中略)数人ずつが束になって壊れた家へ散った。寮へ戻ってヘルメットや手袋、のこぎりを持ち出した人もいたし、チェーンソーで床や梁を必死に切った人もいる。(中略)たたみを担架がわりに負傷者を小学校へ運び、走ってくる車を止めては病院へ送った〉

当時の寮生185人が、連携して救助活動に当たり、80を超える人々の命を救ったのだ。

1年の研修期間が終わる退寮日。同期との別れを惜しみ涙を流す寮生もいるという。そして、彼らは一人前の社会人として、日本各地の赴任地に散っていく。

若手社員たちの力強く確かな一歩を支えるもの――。それが、人との繋がりが生む揺るぎない原点や居場所であるに違いない。

※すべて雑誌掲載当時

(プレジデント編集部=撮影)
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