「さわってもいいですか」と聞くだけでも違う
そうした状況も、少しずつではあるが以前に戻りつつある。4年に及ばんとするコロナ禍に、多少なりとも変化が生じてきた今、かつての人と人との「ふれあい」が、やっと再開されつつある。
これは非常に喜ばしいことだが、そうであるからこそ、今あらためて「他人の身体に自分の手を接触させる行為」について、皆が丁寧に考え直すべきと私は思うのだ。
私たち人間は、せっかく手を媒体とした「ふれあい」という貴重な手段を持っている。これをお互いの幸せと快適のために活用しないのは非常にもったいない。
だが、せっかくの貴重な手段も、我欲のまま相手の許可なく一方的に「さわる」という暴力を行使してしまう人が存在すれば、すっかり台無しとなってしまうのである。芸能人に遭遇して興奮する気持ちは理解できるが、「握手してもいいですか」「さわってもいいですか」と一言たずねるだけでもかなり違うはずだ。
不快だと思ったら「苦手」と伝えていい
まさに「老若男女」を問わず、「他人の身体に自分の手を接触させる行為」をおこなう際には、それによって相手が不快にならないかを十分に考えたうえで、相手にその行為の意図と目的を丁寧に伝え了承を得てからおこなうことが、必要不可欠なのだ。それを今あらためて確認しておくべきだろう。
そして「さわられる側」も不快と感じる場合には、いかなる事情があろうとも我慢せずに拒んで構わないのだ。相手が患者さんなど、なかなか言いづらい局面もあるけれど、私も次に同様な状況に直面した場合には、「あなたが嫌なわけではなく、突然さわられることが苦手なのだ」と正直に伝えることにするつもりだ。
私たち人間は「ふれあい」という貴重な非言語コミュニケーションの手段を持っているとともに、言語を用いてもコミュニケーションできる類いまれな生き物だ。「さわる側」「さわられる側」双方がお互いを尊重しつつ、この両者を上手に組み合わせて使うことで、私たちの生活はより快適に豊かになるのではなかろうか。