認知症患者のケアに「さわる」技法が使われている

また近年注目されているケア技法として「ユマニチュード」というものがある。認知症の人に接する際に、相手をひとりの人間として大切に思っているとの気持ちを伝えるもので、認知症の人の心を開き、症状の改善に有効とされるが、これにも身体に「さわる技法」が組み込まれている。

これらも、医療者側からの一方的な行為であってはならないことは言うまでもない。いくら「さわられる側」のために良かれと思っておこなわれるものであっても、急を要する処置の場合であっても、予告なく同意も得ぬまま「さわる」という行為は慎むべきである。他人の身体に「さわる」場合は、いかなる場合でも「相手の承諾を得る」ことが大前提なのだ。

この大前提は「さわる」だけでなく「ふれる」にも同様に適用される。

ただ「ふれる」は「さわる」とは異なり、自分の手を接触させる対象を「物質」ではなく、ひとりの人間として扱い、その対象者の意思すなわち「人の内面」を配慮したうえで、その人の感情をたなごころで感じつつおこなわれるものと理解される。

そしてそのおこないは、「ふれる側」と「ふれられる側」双方の感情が響き合うものに昇華する可能性すら包含している。[この「さわる」と「ふれる」について、さらに深くを考察したい方は、伊藤亜紗『手の倫理』(講談社選書メチエ)をぜひお読みいただきたい]

触れる際は、まずは衣類で被われているところから

ユマニチュードにおける「触る技法」も、その意味では「さわる」ではなく「ふれる」に近いものではないかと私は実践しながら感じている。

方法としては、まず背中や肩など衣類で被われている部分から手のひらをそっと当て、相手の目を見ながら反応を確かめながら次のステップに進む。相手の不快を感じさせないよう、驚かせないよう細心の注意が求められるが、そうすることで、単なる言葉による会話以上のコミュニケーションを導き出すこともできるのである。

しかし、新型コロナの流行によって、こうした有用な「さわる」も一緒くたに、「人と人との接触」はできるかぎり避けるべきとされてしまった。

高齢者医療の現場、とくに高齢者施設においては感染対策のためとして、家族との面会はZOOM、あるいはリアルに会えてもアクリル板越しの十数分に制限された。肌と肌の「ふれあい」は“危険なもの”として完全に排除されてしまったのだ。

ふだん家族になかなか会えない施設入居者こそ、こうした「ふれあい」が必要であるにもかかわらず、である。人生の最終局面、残された時間を家族とふれあう必要があったろうに、それがかなわなかった人たち。私の知るだけでも数人レベルではない。